【翻訳】アバ P.ラーナー『機能的財政と連邦債』

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現代貨幣理論MMTを支える理論の1つに、アバ P.ラーナーの機能的財政論機能的財政と連邦債という論文1,943年、約14ページ)があります。この論文の…

原文を翻訳しました

この記事に訳文を丸々UPしています。『訳者あとがき』には、イラスト付きの簡単な説明を加えています。

※1 参考・翻訳した文献 アバ・ラーナー『機能的財政と連邦債』” Social Research 10:1 (1943), 38-51. © 1943 The New School. ジョンズ・ホプキンス大学出版局承諾の下、翻訳。
※2 個人の翻訳である点、何卒ご了承ください。翻訳上の誤りや分かりづらい点は、訳者に責があります。
※3 原文のイタリック体の箇所は下線表記、””箇所は「」表記

※4 2,021年5月に前後半の訳文記事を1つに統合しました。

序文

戦争に勝利する必要は別として、経済的不安を払拭する以上に、今日の社会に直面している重要な課題はない。終戦後、我々がこのことに失敗すれば、民主主義文明に対する現在の脅威が再び生じるだろう。

よって、たとえ少しだけ注意深く考えることに与り、先入観と幾分相反する内容が判明しても、この問題に取り組むことが肝心である。

近年、政府の適切な行動によって繁栄の維持を実現できるという原則は、十二分に発展してきたが、新しい原理の支持者達が、その当然の主旨を十分に理解できず、または、世間に必要な頭の体操をさせまいとする要因となった過剰不安を示してきた。

これは、ブーメランのように作用している。赤字支出が現実に作用していると認識するようになった公共心ある人々の多くが、繁栄の恒久的維持に今なお反対しているのは、仕組みの全貌を理解できず、恐ろしい帰結になるという作り話を容易く恐れたためである。

Part Ⅰ

それを展開し、普及させてきたアルヴィン・ハンセン(Alvin Hansen)等によって定式化された、新しい財政理論(イギリスのジョン・メイナード・ケインズによって、実質上、完成した形態で初めて提唱された)は、言外にある異端的意義が網羅的に明示され、最も単純かつ論理的な形で示された時に比べると、前提条件を置いた人の耳には、斬新さと不条理さが少し薄れたように聞こえる。

ある場合には、より衝撃の少ない定式化が、重大な関心を得る戦略的手段として意図されたのかもしれない。別の場合には、著者自身が、苦い薬を飲みやすくする望みからではなく、異端的意義を理解しているとは限らない事実に起因しているー恐らく、無意識のうちに、自らの正統派の知識と妥協している。

だが、今や砲火を浴びるのは、この妥協である。これまで以上に、最も純粋な形で原則を提示する必要がある。こうして初めて、新しい理論が古い理論的枠組みの中へ押し込まれた時だけに露呈する拙劣さと、実は関与していた反対意見を一掃できるようになるだろう。

基本的に、新しい理論は、ほぼいかなる重大な発見と同様に、極めてシンプルである。いかにも、世間に巧妙すぎるとして怪しまれるのは、この単純さである。思考の染みついた習慣を捨てることが難しい学識ある教授ですら、その中に欠点が見つからないと「単に筋が通っているだけ」と不平を漏らしてきた。

これまで理論が進歩してきたのは、それを単純化するのではなく、より複雑に飾り立て、印象的だが無関係な統計と一緒に発表することによって達成してきた。

その中核となる発想は、政府の財政政策、支出と課税、借入と返済、新規通貨の発行と通貨の回収は、こうした行動が経済に与える結果だけに目を向けて行われるべきであり、健全か不健全化かといった既成の伝統的教義に従うべきではない。

効果だけに基づいて判断するこの原則は、人間活動の数多くの他の領域にも適用されてきたもので、それは、スコラ主義に対抗するものとしての科学的方法として知られている。財政政策が経済の中でどのように作用し、あるいは機能しているかによって、その是非を判断する原則を『機能的財政』と呼ぶことにしよう。

P40 (3/14ページ目)

政府の第一義的な財政責任(その責任を肩代わりできる者が、他に誰もいないため)は、その国の財とサービスに対する総支出が、供給可能な全ての財を名目価格で購入するより、多くも少なくもないように割合を維持することである。総支出が多いままにしておくとインフレになり、少ないままにしておくと失業を生む。

政府は、納税者の手元で使える貨幣を増やすために、政府支出の拡大や減税によって総支出を拡大できる。政府は、納税者の手元で使える貨幣を減らすために、政府支出の削減や増税によって総支出を削減できる。

この方法を駆使して、総支出を要求された水準に維持でき、それは、全ての就業希望者によって生産される限界まで財を購入するのには十分であり、潜在生産量を上回る需要(名目価格)によってインフレになるのには不十分である。

機能的財政の第1法則を適用すると、政府は支出以上に徴税するか、徴税以上に支出することを自らの能力と心得ている。

前者の場合、財源の差額を維持するか、国債の一部を償還するために財源を利用することが可能であり、後者の場合、借入または貨幣の発行によって、その差額を作り出さなければならない。

いずれにしても、政府は、この結果に対して、特段何らかの善悪があると考えるべきではない。総支出の割合が小さくも大きくもならないよう維持することだけに専念すべきであり、この方法によって、失業とインフレの両方を防ぐことができる。

ある興味深い、かつ多くの人々にとって衝撃的で、必然的な帰結は、単に政府は支払いの必要があるからといって、課税しなければならないのでは決してない。機能的財政の原則に従うと、課税は、その効果のみに基づいて判断されなければならない。その効果は、大きく分けると、2つ挙げられる。

納税者の手元で使える貨幣が減り、政府の手元で使える貨幣が増えることである。2つ目の効果は、貨幣を発行することで、ずっと簡単に生み出せるため、1つ目の効果のみが重要となる。故に、納税者が使える貨幣を減らすことが望ましい時、例えば、そうでもしないと、インフレを引き起こすほど支出される時に限り、課税されるべきである。

P41 (4/14ページ目)

機能的財政の第2原則は、国民が保有している貨幣を減らし、国債を増やすことが望ましい場合に限り、政府は借入を行うべきである、というのも、それが政府借入の効果だからである。

そうしないと(現金保有者の側が貸出を図ることで)金利が下がり過ぎて過剰な投資を誘引し、結果として、インフレをもたらすような場合には望ましいだろう。反対に、国民の手元にある貨幣を増やし、国債を減らすことが望ましい場合に限り、政府は貸付を行う(借入の一部を返済する)べきである。

課税と支出、借入と貸付(または借入の返済)が、機能的財政の原則によって裁定されると、収入に対する支出の超過は、貨幣を貯蔵することから抜け出せずに達成できない場合、貨幣を新規発行して満たさなければならず、且つ、支出に対する収入の超過は、貯蔵を再び満たすために破壊されるか、活用される選択肢がある。

貨幣を発行するという発想に対して抱かれる、概して本能的な嫌悪とそれをインフレと同一視する傾向は、自分自身が冷静になって、この貨幣発行が使われる貨幣量に影響を及ぼさない点に注意すれば、克服可能である。

それは、機能的財政の第1法則で制御され、とりわけインフレと失業に注意を向けている。支出や貸付(または政府債務の償還)を行う際、機能的財政を実行する必要時に限り、貨幣の発行が行われる。

要約すると、機能的財政は、「健全財政」という伝統的な教義に加え、1太陽年やそれ以外の恣意的な期間にわたって予算を均衡させようとする原理を断固として拒絶する。その立場を規定すると、次の通りになる。

第1に、失業とインフレの両方を撲滅するために(政府含む全主体の)総支出を調節し、総支出が少なすぎる時は、政府支出を活用し、総支出が多すぎる時は、課税する。

第2に、最も望ましい水準の投資につながる金利を成就するために、政府の借入や借入の返済によって、国民が保有する貨幣と国債を調節する。

第3に、プログラムの最初の2つを実行するために、必要とされる貨幣の新規発行と貯蔵、破壊を行う。


1 銀行からの借り入れは、銀行が政府証券の追加保有を根拠に、新規の信用貨幣を発行することを許可された条件の下、目的に対する貨幣の発行として解されなければならない。実質的に銀行は、信用貨幣や銀行貨幣を発行する時、政府の代理人として行動する。

Part Ⅱ

この主題に関する経済学者が定式化した内容を判断する際、機能的財政に関する心もとない意見を言い繕う時の如才なさか、ややオーソドックスな説明に暗示された極端さを十分自覚していない人の側による不明確さなのか、その間の判別が難しい。

当初、呼び水を使った景気刺激策を主張する人がおり、彼等の議論は、政府はただ物事を進めればよいのであって、そうすれば経済が自力で進むという趣旨だった。今となっては、呼び水効果を主張する人は、ほとんどいない。

呼び水効果と幾つかの点で似た決まり文句が、年単位ではなく、より長期間にわたって均衡させなければならないとする予算の周期性や資本性、その他の特別予算といった一連の観点から、スカンジナビア人の経済学者達によって展開された。

完全雇用を維持してインフレを予防する支出と課税の政策が、1年ではなく10年以上の期間にわたって、または隔週末の時点で、予算を始終均衡させなければならないとする根拠はないため、呼び水効果と同様に、それは上手くいかない。

これが確認できたら直ぐ―繁栄を持続させることで、予算の均衡を長期化させている保証が不足した状態―その結果、国の債務が絶えず拡大し続けている可能性を認識する必要がある(追加支出が、税収を超過する支出分の貨幣発行によるものではなく、政府の借入によって行われているケース)。

これまでの時点で、明らかにすべきだった事項が2つある。まず第1に、国の債務がどれだけ想像できないような高さに達しても、機能的財政によって、総需要の名目生産量に対する適切な水準が維持される限り、社会に脅威を与える可能性は微塵もない。

第2に(重要度は、ずっと小さい)、たとえ予算を均衡させる原理の余地がなくても、機能的財政を適用した結果、長期的に見れば、予算は自ずと均衡する傾向がある。債務に掛かる利払い額がどれだけ大きくても、インフレを防ぐための支出削減を続ける必要がない限り、課税をしてはいけない。より一層の借入を行うことで、利子は返済可能である。

P43 (6/14ページ目)

国民が、政府に貸し出し続けることを厭わない限り、国の債務にどれだけ多くの0が付加されても問題にならない。もし、国民が貸出を渋るようなら、貨幣を貯蔵するか、支出をするかのどちらかである。

国民が貨幣を貯蔵する場合、政府は、利子とその他の債務を履行するために貨幣を発行する能力があり、その結果として、国民が国債の代わりに政府通貨を保有し、政府は利払いの面倒から解放されるだけとなる。

国民が消費をする場合、総支出の割合を拡大させることになるため、政府がこの目的で借入を行う必要はなくなる。支出の割合が大きくなり過ぎれば、その時はインフレを阻止する税金の出番である。

その過程は、利払いと政府債務を償還するために活用される。あらゆる状況に応じて、機能的財政は、シンプルかつ半自動的な応答をする。

しかし、この事が一目瞭然と見なされなかったか、世間へ告げるには、あまりに衝撃的で辻褄が合い過ぎると考えられた。

その代わりに、例えば、アルヴィン・ハンセンによって主張されたのが、国民所得と負債の間に合理的な比率が存在している限り、国の債務に掛かる利払いは、財政赤字によって増加した国民所得を原資とする、税金から容易に捻出できるというものだった。

この不必要な「妥協」は、機能的財政に対する極めて効き目がある反論の突破口を開いた。

それによって、不況時の政府支出が、政府によって投下された金額の数倍もの国民所得を拡大させることができる仕組みを明瞭に理解している人でさえ、若しくは、国の債務が、他国に対して返済する義務がない時、個人の他人に対する負債が個人の負担であるのと同じような筋道で、国の負担になる訳ではない点を完璧に理解している人ですら、「財政赤字」2には強く反対してきた。

それは「『財政赤字』以上に、民間企業体制を組織的に蝕み、最終的な破滅を早めるのに適した計画を思いつくのは不可能である」3と主張された。


2 この優れた例はハーパーズ・マガジン1,942年7月John T.Flynnの説得力ある記事
3 Flynn,ibid

P44 (7/14ページ目)

こうした反論は、政府によって1ドルが支出される都度、1、2年のうちに数ドルの所得を創出するかもしれないが、やがて効果は消滅するという認識に基づいている。つまり、国民所得を高水準に維持するためには、民間支出がそれ単独では完全雇用を提供するのに十分ではない限り、政府が支出に寄与し続けなければならないことになる。

以上の内容は、政府の支出に対する支援の曖昧な継続(たとえ、割合が増加している必要はなくても)を意味しているかもしれない。

そして「妥協」した定式化が説明する通り、支出の全額を借入から調達すれば、もはや債務が所得に対する「合理的」ではない比率まで増加し続けるだろう。

こうして、最も重要な論点に辿りついた。もし、債務の利子を税金から徴収しなければならないとすると(再び「妥協」した定式化による、疑問視されてもいない憶測)、やがて国民所得の重大な割合を占めるようになる。

この部分に相当する資金を調達し、国債保有者への支払いに必要となる非常に高い所得税が、投資家が資本を失うリスクを穴埋めできないほど純利益を削り、リスクが高い民間投資を妨げるだろう。

したがって政府は、所得と雇用の水準を維持するために、より一層の財政赤字を引き受ける必要がある。ところが、さらに重くなった税金が膨張する債務の利払いに費やされるー民間投資は不採算になり、企業経済が破綻する程の圧倒的な税負担になるまで。民間企業法人は1つ残らず、税金で倒産し、政府が全産業界を引き取らなければならない。

以上の議論は、目新しいものではない。同一の災厄は、現在は平素よりずっと関心を引いているが、ポンドあたり1ペニーを支払う最初の所得税法が提案された時に見込まれていた。この点に関する限り、議論の意義を評価する重要性が問われることになる。

Part Ⅲ

財政赤字に反対する議論には、主に4つの誤謬があり、一見すると決着がついた結論は、単なる錯覚に過ぎない理由が4つある。

第1に、投資の収益を削減する所得税と同じ金額が、投資が失敗に終わった場合の損失に対して控除される。この結果として、損失リスクに対する正味の利益は、所得税率に関わらず、影響を受けない。かりに、投資額を1万ドルまで積み上げてきた、年収階層5万ドルの投資家を考えてみよう。

6%で600ドルの利益をもたらすが、1ドルの所得につき、60セントの所得税を納めた後では手元に240ドルしか残らない。したがって、これでは1万ドルを失うリスクと釣り合わないため、投資家は投資をしなくなるだろうと主張された。

この議論は、1万ドル全額を失った場合の投資家から見ると、正味の損失が所得税控除後の4,000ドルに限定され、実際のリスクに相当する利益率が未だ6%のままである点を看過している。240ドルは、4,000ドルの6%である。

所得税の効能は、社会のために歩合制で働く一種の代理人のような役目を、富裕層に負わせることである。彼は、投資利益の一部しか受け取らないが、投資した資金の一部しか失わない。所得税が無い場合に引き受けるに値する投資は、やはり引き受ける価値があるのだ。

尤も、この議論を正確に期すと、損失の100%が課税所得から控除され、課税の軽減率が利益にかかる課税率と同じ場合にのみ厳密に当てはまる。被った損失のために、所得課税標準から控除される許容額に対する一定の上限規制に反対する十分な論拠があるが、それは別の話である。

納税者が、損失によって返戻(と税)率が小さい低所得階層に陥る場合、議論の余地もいくらか残されている。潜在的な純損失に比べて、純利益がある程度減少しただろう。しかしながら、これは投資に失敗した投資家が貧困になる恐れがあるほど金額が大きい投資にのみ適用される。

企業が思案し、大勢の個人個人が誰1人、己の全財産を投機に賭けることなく、リスクのある事業に向かって団結して取りかかる事が、この問題に対処する明確な目的である。

P46 (9/14ページ目)

とはいえ、企業の投資を除くと、所得税の最高税率が、比較的低い水準、具体的に年間25,000ドル(低い、換言すると、リスク・キャピタルの源泉と目される富裕層の観点から)に届く場合、この問題はほぼ十分に対処される。

たとえ、25,000ドルを超える所得部分に90%が課税されたとしても、このラインを超える所得部分を投資する妨げにはならないだろう。まさしく、課税後の純利益は、名目利払いの1割しかないが、投資家のリスクに相当する金額も実際に投下した資本の10%に抑えられる。故に、投資家が実際にリスクを負った資本から獲得できる純利益は、影響を受けない。

第2に、不況時の財政赤字に反対する議論は、負債による損害が言われるほど大きくても、弁護の余地はないだろう。

政府支出が、その金額の数倍に相当する財とサービスの実質国民所得を拡大させ、その負担は、利払いの多寡ではなく、貨幣が納税者から国債の保有者へ移転する過程で生じる不都合によってのみ評価される点を忘れてはならない。

ひいては、財政赤字に反対することは、稼いだお金の一部で利払いする(または妻があなたに払う)約束を妻にしているため、失業中に仕事を提示されても、失業し続けたままの方が賢明だと主張しているようなものである、なぜなら、妻に多額のお金をいつか返済しなければならず(または、妻があなたに返済義務を負う)、この事が将来の夫婦間で困難を惹き起こすかもしれないから、と。

たとえ、利払いが社会の内部で実際に失われたとしても、それは、社会の内側でしか移転しない代わりに失業の継続を容認することを通じた損失と比べて、遥かに小さいものになるだろう。その損失は、債務の利払いに対応する元本の数倍にも上るだろう。

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第3に、政府が債務の利子全額を現在の税金で賄わなければならないことを支持する大義名分は1つもない。機能的財政が課税を許容するのは、税の直接的効果が社会的利益の裡にある時に限定され、インフレを引き起こす支出や投資の過剰を防ぐ時であると確認してきた。

もし、インフレを防ぐために課税して十分な売上高をもたらさない場合、貨幣を借りるか新規に発行して、債務の利子条件を満たさなければならない。これによるインフレのリスクはない、というのも、そのようなリスクがあるなら税金からより多くのお金を徴収できていなければならないからである。

これは、国家債務の絶対的規模が何ら問題にならず、債務の利払額がどれだけ多くても、全体として社会の負担にならない事を意味している。全く空想的な誇張は、その点を例示するかもしれない。

そこで、国債が合計10兆ドル(すなわち、10,000,000,000,000ドル)という途方もない額に達し、年利が3,000億ドルであると仮定しよう。次に、完全雇用の経済によって生産された財とサービスの実質国民所得が1,500億ドルであるとしよう。

つまり、利子だけで実質国民所得の2倍になる。間違いなく、この債務規模は「途方もない」と言われる。しかし、この空想的なケースですら、利払いは社会の重荷にならない。

実質所得は1,500億ドルしかないが、貨幣所得は4,500億ドルである―1,500億ドルが、財とサービスの生産から得られた所得、3,000億ドルが、国の債務を構成する国債保有からの所得である。

この4,500億ドルの貨幣収入のうち、(法的債務上限が10兆の場合)3,000億ドルは、利払いのために政府の税金から集めなければならないが、この税金を支払った暁には、1,500億ドルが納税者の手元に残ったままで、これは当該の経済機構が生産できる全ての財とサービスの代金を支払うのに不足しない。

1,500億ドル以上を支出すると、購入財の価格を単につり上げることになるため、実際には、納税後に残されるより多くの金額を所持したところで、何の役にも立たないだろう。その国の潜在生産量を上回る消費財を手に入れることはできないだろう。

P48 (11/14ページ目)

言うまでもなく、以上の説明は、機能的財政を適用した結果として、この規模の債務がとにかく起こるのだと誤解してはならない。以下に示す通り、見立ててきた天文学的な数字近辺に達するより遥か先に、国の債務は、自然と拡大を停止する傾向にある。

現時点の債務にかかる利子を、税金から徴収しなければならないとする根も葉もない憶測は、所得の債務に対する「合理的」かつ「制御しやすい」比(それがどんなものでも)を維持しなければならないという発想から生まれている。

この制約が受け入れられると「合理性」という上限に達するや否や、利払いのための借入が除外され、かりに不適当な見解として貨幣を発行する選択肢までも排除されると、利払いを税金で調達する可能性しか残されていない。

幸運なことに、機能的財政がインフレを警戒している限り、こうした上限を想定する必要はない、というのも、貨幣の発行を疑う合理的な根拠が、インフレに対する恐怖心しかないからである。

最終的に、完全雇用を維持するために機能的財政を適用し続けた結果、政府が貨幣をこれまで以上に終始借り続け、債務を増大させているに違いないとする推測には根拠がない。これには多くの理由が存在している。

まず、完全雇用は、そのために必要な分の貨幣を発行することによって維持できる上に、これによって負債を少しも増幅させない。それは恐らく賢明なことではあるが、どちらか一方が拡大しなければならない以上、負債と貨幣が一緒に一定のバランスで拡大することを容認している。

第2に、民間投資を最も抑制する物の中に、投資の利益を確保できるより先に不況が到来する不安があるため、半永久的な完全雇用を保証することによって、投資家が新たな措置に対する疑念を払拭してしまえば、民間投資をより一層魅力的にするだろう。より多くの民間投資が、赤字支出の必要性を減じるだろう。

第3に、国の債務が民間の総資産と共に拡大すると、税率が同じでも、より高い所得と相続にかかる税金からの収入が増えるだろう。この増えた納税額は、納税者による支出削減を意味している訳ではない。故に、政府は必要な支出割合を維持するために、こうした収入を活用する必要はなく、国の債務利払いに充当できる。

P49 (12/14ページ目)

第4に、国の債務が増えるにつれて、それが自己均衡の力として作用すると、拡大する必要性が徐々になくなり、最終的にその傾向が完全に止まって均衡に到達する。国の債務が増えれば、民間資産も増える。

この理由は、単純に政府が背負っている債務のドル全額に対して、国債を保有しているか(おそらく、政府が株式を保有する企業を通じて)、この債務を自分達の私有財産と見做している民間の債権者がいるためである。

民間の財産が増えるほど、現在の所得から貯蓄することによって財産を増やすインセンティブは抑えられる。現在の貯蓄は、過去の貯蓄した蓄積によって抑制され(支出が、貯蓄収入に代替する唯一の手段であるため)、現在の所得からの支出額が増加する。

こうして民間が支出を増やすと、完全雇用を提供する総支出の水準を維持する目的で、政府が財政赤字を引き受ける必要はなくなる。政府債務が拡大して、民間支出が完全雇用に必要な総支出を形成するのに十分な水準になると、政府による財政赤字の必要がなくなり、予算は均衡して国の債務が自動的に拡大を停止する。

均衡水準における債務規模は、多くの事情に拠っている。それは、まさに一番ラフなやり方で推測され得るしかない。私の推測では、1,000~3,000億ドルの間になる。その次元は、結果であって、機能的財政の原則ではなく、そのような推測の幅は重要な問題ではない。それに、機能的財政の法則を適用するのに必要でもない。

第5に、いかなる理由にせよ、政府が民間資産(国債、またはその他)の過剰拡大を望まない場合、完全雇用を維持する政府支出計画において、富裕層から借り入れる代わりに、彼らに課税をして抑えることができる。

富裕層は、支出を著しく減らすことなく、したがって経済への影響は、より小さな債務は別として、恰も彼らから借入をした場合と同じになるだろう。この方法で望ましい水準まで債務を削減することが可能となり、そこで維持される。

P50 (13/14ページ目)

財政赤字に反対する主張への回答は、こうして以下の通り要約される。

・国の債務は、必ずしも増え続けるとは限らない。

・国の債務が現に拡大しても、その利子を現在の税金から徴収する必要はない。

・たとえ、債務の利子を現在の税金から徴収しても、こうした税金は、政府支出から享受した便益のごく一部の利子に成るだけで、国内で失われることはないが、単に納税者から国債の保有者へ移転するに過ぎない。

・高い所得税は、必ずしも投資を妨げるものではない、なぜなら、損失に対する適切な控除が、投資の純利益が減少した分と同じ割合だけ、投資家が実際にリスクを冒す資本を軽減できるからである。

Part Ⅳ

機能的財政の提案が、論理的すぎると思われる不安を排して前面に押し出されていた場合、上記で議論されたような批判は、今ほど市民権を得ていなかっただろうし、機能的財政をその仲間から守る必要もなかっただろう。

なかでも、当惑させられた仕事は、機能的財政(または財政赤字、頻繁だが不本意ながら呼ばれる)が、主に民間企業の防衛であるという主張から生じている。

機能的財政の人気を得ようとして、他の名称が与えられ、本来は民間企業の救援にあるのだと唱道されてきた。私自身は、それを民主主義と同一視する時に前著で同じように罪を犯し4、そうやって製品を旗にくるみ、勝利や士気に向かって売らなければならないものは何でも結びつけるセールスマンの集団に加わった。

機能的財政は、特に民主主義や民間企業と関係しているわけではない。それは、ファシストや民主主義の社会とただ同じように、共産主義の社会にもあてはまる。貨幣が、経済的機構の中で、重要な要素として利用されているどんな社会にもあてはまる。何が適切で、健全あるいは伝統的なのか、何が「なされている」ことなのかといった先入観を捨て、代わりに政府による課税、支出、借入、貸付が経済の中で果たす機能を熟慮したシンプルな原則を成している。

それは、こうした道具を誤った人や伝統への正当な敬意なく扱われた場合に不可解な危害を招く魔力としてではなく、単純に道具として使うことが大切である。他の装置と同じように、機能的財政は、たとえ誰がレバーを引いても、作用するだろう。民主主義と自由企業に対するその関係は、このことを信じる人間が機能的財政を利用しなければ、それを利用する別の人間を相手にすると、長い目で見て勝ち目がないという事実に単純に帰着しているのだ。


4『完全民主主義と完全雇用』 Social Change(1,941年5月)



訳者あとがき (イラスト付き)

ラーナーは、経済の状態を認識するために、次のように主張しました。

2つの大小を比較する
  1. 総支出
  2. 総生産

総支出とは、その国の財・サービスに支出した実際の総額です。総生産とは、生産可能な量の財・サービス ※1に支払われる総額です。

しかし、現実の支出は、生産可能量に対して支払われるはずの金額とズレます。

①総支出が多い場合:インフレ

総支出が、総生産を上回る場合、

生産可能量の限界まで生産しても、それでは足りないと言わんばかりに支出されます。すると、財とサービスの値段が上がってインフレになります。

②総支出が少ない場合:失業

総支出が、総生産を下回る場合、

総支出以上に生産してしまうと、売れ残って在庫が積み上がります。すると、生産量を落とすために就業者数が減り、失業が生まれます。

総支出を適正な水準に維持する

以上のズレをそのままにしておくと、失業やインフレが放置されます。

ラーナーは『多くも少なくもないように』総支出を維持しなければならない、と主張しました。

『国民の貨幣量』という視点

そこで、現実の経済を認識する方法を示しました。

国民の手元で使える(保有する)貨幣(money left to spend , have money)に着目し、失業の場合は不足、インフレの場合は余剰を認識し、その解消を目的に据えるように主張しました。

機能的財政の第1原則『財政政策』

その目的に向けて、まず財政政策を手段として位置づけました。

『政府は、納税者の手元で使える貨幣を増やすために、政府支出の拡大や減税によって総支出を拡大できる。政府は、納税者の手元で使える貨幣を減らすために、政府支出の削減や増税によって総支出を削減できる。』

手元で使える貨幣量に着眼して、課税と支出を手段とします。

この財政政策を、機能的財政の第1原則と言います。

機能的財政の第2原則『金融政策』

その目的に向けて、金融政策も手段になると言いました。

『国民の保有している貨幣を減らし、国債を増やすことが望ましい場合に限り、政府は借入を行うべきである…反対に、国民の手元にある貨幣を増やし、国債を減らすことが望ましい場合に限り、政府は貸付を行う(借入の一部を返済する)べきである。』

保有する貨幣量に着眼して、借入と貸付を手段とします。

※1 国債を新規に発行して、お金を調達する手段ではなく、市中に国債を売却して、市中から貨幣を”借入”する手段を指す

この金融政策を、機能的財政の第2原則と言います。

機能的財政=『財政・金融政策のポリシー・ミックス』

以上、2つの原則をまとめると…

機能的財政とは、金融政策も含めた財政・金融政策のポリシー・ミックスと言うことができます。

貨幣量の移転 政府 ⇄ 民間

以上4つの手段を、失業とインフレの局面に応じて使い分ける必要があります。

『課税と支出、借入と貸付(または借入の返済)が、機能的財政の原則によって裁定されると、収入に対する支出の超過は、貨幣を貯蔵することから抜け出せずに達成できない場合、貨幣を新規発行して満たさなければならず、ならびに支出に対する収入の超過は、貯蔵を再び満たすために破壊されるか、活用される選択肢がある。』

失業または金利が上がり過ぎている場合、貨幣を新規発行するのに対して、インフレまたは金利が下がり過ぎている場合、貨幣を回収します。

そのため、国民の手元にある貨幣量と保有する貨幣量を認識すれば、自ずと目的が定まり、後はそれに応じた手段を実行するのみとなります。

※1 原文ではservicesが抜けているものと解釈しています。
※2 本論文では、財政政策(①課税②支出)と金融政策(③借入④貸付)を必ず同時に実行しなければならない、とは主張されていません。

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