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【翻訳】アルフレッド・ミッチェル・イネス『貨幣の信用理論』①

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現代貨幣理論MMTを支える理論の1つに、アルフレッド・ミッチェル・イネスの信用貨幣論『貨幣の信用理論(1914年)という論文があります。この…

原文を翻訳しました

次のように3つに分け、大まかにページ数を振っています。

  1. 編集者の注釈、本文(P151~P156)
  2. 本文(P157~P162) 
  3. 本文、結論の要約(P163~P168)

この記事はパート①を掲載しています。

※1 参考・翻訳した文献The Banking Law Journal, May 1914』P151~P168
※2 個人の翻訳である点、何卒ご了承ください。翻訳上の誤りや分かりづらい点は、訳者に責があります。
※3 原文のイタリック体の箇所は下線表記、””箇所は「」表記

編集者の注釈(P151)

[編集者の注釈。―「貨幣」の主題について非常に多くの事が執筆されているため、イネス氏のような科学的著述家は、しばしば誤解される。多くの経済学者や大学教授は、彼の第1論文で為された主張と意見を異にするが、誰も反論できないようである。このナンバーに続き、第1論文に対する批判と回答の寄稿集が出版される予定であり、この第2論文に対する批判と回答を謹んで紹介する。]

本文 (151~P156)

貨幣とは何か?」の題名で、このジャーナルの1,913年5月号に登場した論文は、これまで殆どの歴史家に堅持され、貨幣の主題について事実上全経済学者の教義の基礎を形作ってきた金属的理論に対抗するものとしての、貨幣の信用理論に関する概略的な叙述である。

アダム・スミスの時代まで、貨幣が貴金属と一体視されただけでなく、実物資産のみを形成すると一般に考えられた。通俗的な迷妄が、真剣な思想家から一様に信奉されたと考えられなくても、やはりアダム・スミスに属するのは、富が貴金属に内在しない原理を最終的かつ永久に確立した功績である。

ところが、貨幣の性質という論題になると、言説の矛盾した性質が証拠を示している通り、アダム・スミスの見解は自身の期待通りに働かなかった。そうならざるを得ない。

今日でさえ、貨幣に関する史事についての正確な情報を少しも利用できない。アダム・スミスの時代は、どの資料を活用すべきかという知識が有っても、正確な貨幣理論を確立するための資料は手に入らなかった。

スチュアート(Steuart)は、通貨単位が必ずしも鋳貨と同一視される必要はないと気付き、マン(Mun)は、金と銀が外国貿易の基準ではないと理解し、ボア・ギルベール(Boisguillebert)は、紙幣が銀に担われる機能を十二分に発揮すると大胆に主張した。

しかし、このような幾つかの未完成な着想を脇に置けば、国富論のこの部分の問題を解決する取り組みの中で、アダム・スミスを手引きできるものは無く、富が金と銀ではないという主要論点が間違っていないと自らに言い聞かせた後、2つの選択肢に直面した。

貨幣が金と銀ではない、または富ではないのいずれかであり、そうして、後者の選択肢を選んだのは必至だった。しかしながら、この中でアダム・スミスは、通俗的な迷妄とではなく、人類の普遍的な経験から教訓を得られる世間の現実と衝突した。

貨幣が富ではないとすると、独りでに実物財産を構成する謎めいた「購買力」を意味するものとしての言葉が広く受容される状態で、ひいては、人類の商業全体が虚偽の上に成り立つ。

貨幣を富ではなく、「富を流通させる車輪」とするスミスの定義は、貨幣を追い求める努力や貯蓄する願望を周囲で見掛けている現実を明らかにしない。

かりに貨幣が唯1つの車輪であるなら、何故車輪の貯蓄を目指すべきなのか?どうして、100万の車輪が1つより有用であるべきなのか?また、貨幣をともかく1つの車輪と見なさなければならないとして、巨大な車輪1つが小さな車輪1つより資すべき理由は何か?あるいは、巨大な車輪1つが何にせよ適当な大きさの車輪1つより資すべきなのか?比喩は正しくないのである。

アダム・スミスの時代以降、貨幣の主題に関して多くが著述され、沢山の有益な調査が行われてきたにも関わらず、金と銀が唯一の実在する貨幣であり、それ以外の形態は単なる代替品に過ぎないという古い発想に未だ捉われている。

この根本的な誤りの必然的帰結は、アダム・スミス以来、広く認められた権威の著作で「富」、「貨幣」、「資本」、「利子」、「所得」に関する章を対比することに労を惜しまぬ人を誰もが見掛ける程、極度の混乱が政治経済学の分野に行き渡っている。往々にして、どの2つも一致する要点が無い。

日々の生活体験と経済学者が教えている事との間にある分裂が、如何に徹底しているかは、例えば、国家資本や社会資本、個人資本等と複雑な区分を伴った、マーシャルの資本に関する章を読むことで最もよく見受けられる。

銀行家と商人は皆、資本は唯1種類のみで、それが貨幣であると承知している。あらゆる商取引と金融取引が、この命題の真実に基づき、全ての貸借対照表が、このよく知られる既成事実に従って作成されている。未だに経済学者は漏れなく、自らの学説を資本が貨幣ではないという仮説に頼っている。

P152(2/18ページ目)

科学が日常生活の見慣れた事実とどれだけ理想的に調和しているかを見るのは、信用理論を理解し、受け入れた時だけである。

手短に、信用理論はこうである。

売買とは、信用と商品の交換である。

この枢要となる理論から、信用や貨幣の価値は、あらゆる金属や複数ある金属の価値に依存するのではなく、「支払い」つまりは債権者が債権の弁済に向けて獲得する権利と、債務を「支払う」債務者の義務に依存し、その反対に、債権者に背負われている債務と等価の弁済金によって債務から自らを解放する債務者の権利と、債権の弁済時に弁済金を受領する債権者の義務に依存する、といった副次的な理論が導出される。*1

基本的理論はそのようなものであるが、実際の所、債務者が自らを債務者たらしめる者と同一人物に対する債権を獲得することは必要とされない。

万人が購入者と販売者を兼ねるため、同時にお互いの債務者と債権者であり、債権の販売先である銀行の見事に効率化された機構によって、こうして銀行が商業の手形交換所になり、社会全体の債務と債権が寄せ集められて相互に相殺される。故に、実際あらゆる適切な債権は、どんな債務も履行する。

また理論上、購入する度に債務を創出し、販売する度に債権を獲得するが、現実問題として、この理論もやはり少なくとも発達した商業社会に於いては修正される。

商売が上手くいっている時、銀行家に対する債権を蓄えると、新規債務を創出せずとも、蓄えた債権の一部を販売者に移転するだけで購入が可能である。

次に、購入を希望する時点で債権を蓄えていない場合、購入する相手の債務者となる代わりに、銀行家と帳簿上の債権を「借りる」ために取り決め、今度は自らが販売者となる時に獲得する債権と同額(あるいは上回る物)を銀行家に引き渡す約束をした段階で、借り入れた債権を販売者に移転することができる。

あるいは再度、その土地における商品とサービスの最大の購入者である政府が、徴税機構によって回収可能な硬貨や紙幣と呼ばれる莫大な量の小口引換券に加えて、私達が少額の購入代金を支払う時に自分達に対する債権を授けたり、銀行家に対する債権を移転させたりするのに優先して利用可能な政府債権を、政府購入♰2の支出時に発行する。

こうした政府の引換券は、ここ数世紀にかけて膨大になり、日常生活で幅広く利用されているためーその他の種類全てを圧倒しているー特に「貨幣」という用語と深く関連付けるようになった。しかし、それは債務の他の引換券や承諾書と同様に要求する権利を持たない。

購買品の代金を自らの手形で支払う商人や手形を発行したり、自分宛てに振り出される為替手形を承認する銀行家は全員、大蔵省宛の為替手形を発行したり、金属片や紙切れに検印を押す政府と全く同様にまさしく貨幣を発行しており、貨幣の主題を巡る間違った考えの中でも、貨幣の発行を独占する特別な役目が政府にあると考える以上に弊害の大きいものはない。

かりに銀行が貨幣を発行できない場合、事業を継続させることができず、政府が何某かの貨幣を発行する手段に障害を設けた場合、その結果の1つとして、国民は恐らくより不便な種類にやむを得ず適応させられる。


1 読者は、第1論文で展開されている通り、債権の定義を絶えず念頭に置くことが必須であると留意しなければならない。文字通り「債権」という言葉を使うことに慣れていない人は、代わりに「債務」という言葉を思い出すと、より簡単になるかもしれない。

双方の言葉は同じ意味を持ち、状況が債権者か債務者の立場から論じられる文脈に応じて、どちらか一方が用いられていることになる。債権者の立場から見た債権であるものは、債務者の立場から見た債務である。

♰2 現代の政府は、遺憾ながら、通貨の発行について購買代金までを上限と定めていない。しかし、これは後程。

P153(3/18ページ目)

綿密な歴史研究で明証されている通り、1ドルや1ポンド、その他の通貨単位は、把握済の寸法と重量や判明済の価値といった固定化されたものでもなければ、政府通貨が今日大半の国々で享受している顕著な地位を常に維持する訳でもない。ー決して、そうではない。

そう遠い昔ではないフランスでは、数多くの通貨単位が存在しただけでなく、その全てが同じリーヴルの名称で呼ばれ、こうしたリーヴル―または、政府に用いられた当該の物―は、ここでも頻繁に強い貨幣(forte monnaie)と弱い貨幣(faible monnaie)に分類され、政府の通貨は弱い存在だった。

こうした識別は、銀行家が法定通貨制度にも関わらず、銀行に対する債権1リーヴルの等価物とされる政府に対する債権1リーヴルの受け取りを拒む程、政府通貨が銀行貨幣と比べて価値が劣り、専門用語にすると、銀行貨幣から見て切り下げられたことを示している。

国王と顧問官は、この出来事とそこから由来する帰結に度々困惑させられた。「強い(forte)」と間違いなく信ずる貨幣を幾度となく発行し、その通りであると法律で布告したにも関わらず、その直後に要領を得ない仕方で「弱体化した(devenu faible)」と公に認めざるを得なくなったのである。

イギリスという顕著な例外と相俟って、そこでは政府通貨の減価が相当であったとは言え、ヨーロッパ大陸に比べると微々たるもので、ヨーロッパの至る所で似たような状況が広まっていた。

アムステルダムやハンブルグ、ヴェニスのように、支配力を持つ銀行を抱えた諸国では、高い基準が「銀行貨幣(bank money)」として、低い基準が「流通貨幣(current money)」として知られた。

この状況の中から、興味深い重要な出来事が生じた。銀行家と取引する卸売業が銀行基準に従い、大部分を政府硬貨の媒介を通じて取引する小売業が、程度の差こそあれ、政府基準*3に自ずと寄り添い、基準の価値が下落して物価が上昇したのである。

ドイツ連邦では、文字通り何百もの通貨基準が存在し、貨幣史が特に関係しているマルクと一律に呼称され、小売業が同地域に所在する卸売業より低い基準に何時も従った事実によって、卸売業が基準として純銀の1マルク重量を用いた一方、小売業は硬貨に消費された銀メッキのマルク重量を用いたと歴史家は信じて疑わなかった。

しかし、この発想は錯誤であることが最終的に論証できており、「ペーニッヒ銀貨のマルク(mark of pfennigsilber)」は、硬貨の重量ではなく、1マルク貨幣を作り上げるために必要とされたペーニッヒ硬貨(中世の大部分を通して、ドイツで知られる唯一の硬貨)の数量を参照していた。

十分察しているかもしれない通り、多くの混乱が貨幣の問題で一般に膾炙し、どのような基準によって負債が支払われて縮小するべきか、特に賃借料が履行されるべきかについて、取り決めることが極端に困難だったため、深刻な不満を頻繁に惹き起こした。

こうしたことを矯正するため、フランス国王は、恐らくほぼ成果を挙げることなく、起こり得る様々な事態を踏まえた基準に関する規定を法律によって導入しようとした。

私達は、太平の時代と繁栄や安定した政情の長い歳月に慣れ、所与の通貨単位が不安定な代物であることを十分自覚していない。アメリカ合衆国にいる人は、どこかの銀行の紙幣や外国政府の通貨が目減りするのを耳にし、ドルを基準に割引で取引されるのを目にすると、ドルを不変の単位として、減価した貨幣を不変的基準から外れたものとして捉えがちである。


*3 国王のリーヴルと運命を共にしたものを除くと、小売業が硬貨の基準に従ったことを主張している、として誤解しないように。「変造」という制度の乱用と試行された通貨改革によって、硬貨は、国王がリーヴルを切り下げたことで頻繁に損失を被ったのみならず、独自の変動をしていた可能性が高い。

♰4 フランスのリーヴルのように、マルクは重量の計算単位と通貨単位の両方である。ただし、リーヴルが決して貴金属の計量のために用いられた訳ではないのに対して、マルクはこれら金属の重量単位であったことから、ドイツの歴史家が2つを混同することに繋がった。

全てではないが多くの国々で、同じ単語が、そうした2つの相異なる目的で使われるようになった経緯は知られていない。恐らく、元来はどんな種類の単位も表示しただけである。

2種類の計算単位に対して、同じ単語が使われた事例は他にも、長さの計算単位「インチ(inch)」という単語、重量の計算単位「オンス(ounce)」という単語がある。双方の単語とも語源的に同義である。

P154(4/18ページ目)

されど、歴史に学ぶ労を厭わなければ、アメリカ政府のドルとイギリス政府のポンドは、現在想像しているような常に安定的なものだった訳では決してない。

イギリスのポンドは、アメリカの全植民地で利用された上に各ポンドが他と価値の面で相違し、植民地のポンドは悉く母国と異なっている。アメリカ連合の黎明期では、様々な公式通貨が商取引で用いられた基準と揃わず、商取引の基準から大きく割引された。

政府の硬貨が唯一無二のドルであるのに対して、それ以外の貨幣はそのドルを支払う約束であるという今日誰もが抱く見解は、それとは逆の明白な史実的証拠に直面すると最早批判に耐えることができない。

政府のドルは、それ以外の貨幣と同様、「支払う」約束であり、「満たす」約束であり、「弁済する」約束である。貨幣の全形態はその性質において同一である。この基本的な原則の理解を国民から得るのは難しく、その真の理解なくしては、貨幣の現象を何一つ把握できない。

同様に理解し難いのは、今日のアメリカでどの地域でも別々のドルが数多く利用されている事であり、というのも、事実が昔より目を引かないためである。

私が、例えば、ニューオーリンズにいる銀行家に向けて、同じ額面価格の一覧払い手形(sight drafts)を沢山持ち込み、副国庫や同一市内にある別の著名銀行、郊外にいる無名の商人、ニューヨークの著名銀行、シカゴにいる評判が良い商人に対する手形があると仮定しよう。

副国庫や同一市内にある銀行の手形に対して、多分、銀行家は私に額面価格通りの債権を授けるが、それ以外は同じでない価格で両替されるだろう。

ニューヨーク銀行の手形に対しては、明記された金額以上を得る可能性があり、ニューヨーク(※訳者補足:正しくは、シカゴと思われる)の商人に対しては、それ未満しか得られない一方、無名の商人に対しては、恐らく、銀行家は私の署名がないと何も渡さず、そうした場合でさえ、私は額面金額未満でしか受け取れないはずである。

これらの文書は皆、債務の異なるドルを体現し、その中で銀行家は己にとって値打ちがあると考えた一切を買い取る。私達が手に入れるドル貨を保有する銀行家は、自分自身の立場でこうした他のドルを全て査定している。

たとえ、ロンドンやニューヨークのような都市にいる第1級の銀行家の水準が、地方の銀行家にとって自分のお金より高い分の値打ちが少々だとしても、一般的に言えば、第1級の銀行家のドルは獲得され得る債権の最高水準である。

アメリカでは、政府債権に対して抱くようになった信頼を根拠に、政府通貨のドルが銀行貨幣と匹敵し、通常どの都市においても、市外にいる銀行家の貨幣より僅かに高い順位を占めており、その理由は、決して金を表示しているからではなく、単に政府の金融オペレーションが広範囲に及んだ結果、政府に対する税金やその他の債務を解消する用途として政府通貨がどこでも需要されるためである。

債務を背負う全ての者は、自分のドルを振出し、それが他人のお金のドルと一致したり、相違したりする。この興味深い事実を悟るのは少しだけ難しい、というのも、現実に流通する唯一のドルが政府と銀行のドルに外ならず、双方とも債権の最高かつ最も便利な形態を体現しているため、その相対価値が常に同一でなくとも、ほとんど差がないからである。

現代の政府通貨が安定しているように見えることが、先人にとって馴染みのある出来事を曖昧にしている。

発行主体に関係なく、貨幣の安定性にとって必須となる1つの条件は、以前の論文で説明した通り、金属の断片ではなく、債権で適宜引き換え可能なことである。特殊な制定法や個別の契約に拠らない限り、債権以外の何物も、債務を履行しない。

貨幣の性質について、より正しい見解を取り入れる上で主な障害となるのは、「物事はその見え方と違う」、日々の出来事についての簡単かつ明白な説明に見える代物は、解明と実証ができる事実と両立しないことを国民に首肯させる厄介さである。

ーいわば、自分では、太陽が地球の周りを進行する様子を観察していると思っているのに対して、実際は、地球が太陽の周りを進行する様子を観察していると国民に気付かせることである。感覚で捉えたものを疑うのは容易ではない。

P155(5/18ページ目)

私達は、ある純度を有する金の一定重量という「本位ドル貨(standard dollar)」をアメリカ合衆国で創設する法律に遭遇している。債権者に対して遵守しなければならない債務の支払いに、こうした硬貨で受け取らせる法律を確認している。―疑問を抱かれずに快諾されている法律である。

あらゆる商取引がドルで継続していることを目にしている。最終的に、ドルやその倍数、分数で呼ばれる硬貨(または同等の紙幣)を至る所で見掛け、その手段により無数の買物が行われ、負債が決済される。

こうした状況を全て鑑みると、何よりも信ずる以上に当然な事は、法律が特定の硬貨を本位ドル貨(the Standard Dollar)であると宣言した時、実際その通りに実現し、「ドル」という言葉を発する時、基準となる硬貨について言及し、商取引を行う時、表面上は曲がりなりにも慣れ親しんだ硬貨を使って行っている。

さらに明白な事は、幾何かのドルを「支払う約束」について取り交わす時、それによって金貨やその等価物を支払う約束を指している。

不意に伝えられるのは、大切にしている信念が間違いであり、法律は本位ドル貨を創出する権限がなく、売買時に用いる基準が金の断片ではなく、抽象的で実体の無いものであり、「支払いの約束」をする時、金貨で支払うことを請け負わず、抽象的で実体のない基準の観点から言い表された等価の債権によって債務の解除を請け負うだけで、政府の硬貨は民間の手形や紙幣も同然の「支払う約束」である、と。

斬新な教義の先生が、疑いの眼差しで見られることに何の不思議があろうか?国民が、地球が太陽の周りを回ることを直ぐには説得されまいと考えることのどこが可笑しいのだろうか?

しかしながら、その通りなのである。目は決して見ていないし、手は1ドルに触れてもない。触って見ることができるのは、1ドルという金額の債務を支払うか、弁済する約束だけである。取り扱うものによって、1ドル証書や1ドル紙幣、1ドル硬貨と呼ばれたりする。

それは、1ドルの支払いを約束したり、1ドルの金貨や銀貨との交換を約束したりする言葉を担うか、単にドルという言葉を記載しているか、あるいはイギリスの主権のように1ポンドに相当し、何らの銘刻もない代わりに国王の頭像を表示するだけである。

硬貨の表面に刻印されるものや紙幣の券面に印字されるものは、全く関係ない。実際に関係がある事、これこそが唯一の問題である。硬貨や紙幣の発行者が実際に引き受ける義務とは何か?どんなものでも、そうした保証を履行できるのか?

抽象的基準という理論は、当初見受けられたより突飛ではなく、理論について議論を一緒に交わした科学的な人に対して、不具合を提起しなかった。計算基準は全て同じである。誰もこれまでに1オンスや1フィート、1時間を見たことがない。

1フィートとは、2つの決められた地点間の距離だが、距離も地点も実体的存在がない。いわば、無限の距離や空間を任意の要素に分割し、実体的存在を持つ事物に適用した時、当該の部分を測定するための概ね正確な道具を考案している。

重量は、周囲の物体に関連付けて実証されたものとしての重力であり、所与の物体にかかる力の効果と別の既知の物体に作用する力の効果を比較することで測定している。しかし、力が満遍なく均一に作用する訳ではないため、この測定単位はせいぜい近似に留まる。

時間の測定単位は、何ら具体的な基準も適用し得ない事物であり、1時間を完璧な精度で計算することは決してできない。太陽時が運用される国々では、時間が日没から日没までを勘定した時間の1/24であり、故に基準は最も大雑把なものである。

しかし、このようにして計算をする国民は、夏と冬における1日の長さの違いが、北方と比較してそれ程大きくない国で暮らしており、この誤差から生ずる不都合を感じず、それどころか気付いてもいないようである―それだけ強いのが、習慣の力である。

債権と債務は、抽象的な思考であり、そうした所で、どんな有形物の基準によっても評価することができない。恰も、無限の債権と債務を1ドルや1ポンドといった任意の割合に分割し、長い習慣を通して、この評価基準を確固たる正確なものと見做している。一方、事実として、殊変動に対して責任を負っている。

今や貨幣理論は、耐えられることが可能で、潜り抜けなければならない試練が1つだけ存在し、それは歴史の試練である。歴史以外は論拠の精度を確認できず、理論が歴史の試練に打ち勝てない場合、その中に真実は存在しない。

感覚の形跡に訴えるのは無用で、理論を庇って法律を引用しても無駄である。法律は科学的な真実ではない。

法律は、特定の金属片が本位ドル貨であると振りかざすかもしれないが、そう上手くはいかない。ひょっとすると、法律が、太陽は地球の周りを回っていると主張するかもしれないが、それだと自然の力に影響を及ぼさない。

P156(6/18ページ目)

類似の原因が、同じような結果を生み出し、仮に政府が通貨単位から見て固定した価値を持つ標準的な硬貨を創出できていた場合、世界の貨幣史はこれまでと様変わりしていたに違いない。

現代の歴史家は、鋳貨の無節操な品位低下によって人々に悪事の限りを尽くした中世君主の邪悪さを激しく非難する一方、良き判定者たるべき国王自らが、不幸な出来事を臣下の不正に原因があるとし、硬貨を削り落として摩耗させ、公式価値や王室の資料によると「適正価値」を超過する貴金属を無理矢理押し付ける金銭欲に駆り立てられた。ー硬貨を削り落として公式以外の価値で硬貨を授受することは、厳罰が規定された犯罪である。

フランスの金貨エキュ(ecus)とイギリスの金貨ギニー(guineas)の増価、公式に20シリングで発行されても、世間から30シリングもの高さで評価された後者は、金ではなく銀が「価値の基準」であり、他の商品と同じように、金が銀を単位として変動したのは至極当然である、という理屈で幾分尤もらしく説明されるかもしれない。

しかし、良質な銀貨「グロ・トゥルノワ(gros tournois)」は、国王が価値の上昇を防止するために最大限取り組み、重量面で漸次的に削減され続けた事実にも関わらず、価値の面で絶えず上昇した現実をどう説明するのか?

グロ・トゥルノワ※1
ルイ9世が発行した銀貨

15世紀にグルデン(gulden)が、ドイツの通貨単位の中で最も利用されるものの1つになった時、グルデン金貨(その名称の銀貨は存在しない)が、商業利用としてのグルデン貨幣より価値が高くなった事実をどう説明するのか?

とりわけ、既に述べた通り、ギニーがシリングから見て上昇している間、シリング自体も上昇した事実をどのように説明するのか?ウィリアム3世(WilliamⅢ)の完全な重量のシリング、貨幣鋳造所から発行される通りに―というのも、ウィリアム3世は鋳貨を切り下げる不正を犯した訳では決してない。―は、商業のシリングより価値が高く、取引業者に買い漁られ、オランダに運び出された。

「ああ、しかし」と批評家は言う。「国内で完全な重量の硬貨が1枚も無い状態になるまでの間、流通しているシリングは全部、摩耗と詰め物をされたため、決して鋳貨が惨めな状態ではなかったことを君は失念している」

しかし、金貨と完全な重量の銀貨が増価したのは、摩耗を通じた硬貨の品位低下が原因であると認められる場合、ひいては摩耗した硬貨が価値の基準であり、政府に発行された通りの完全重量の硬貨ではないことが承認されなければならない。

しかし、その場合、基準が鋳貨を通じて政府によって固定化されるという理論は一体どうなるのか?それから、基準が公式の鋳貨を通して固定化されていないとすれば、間違いなくその通りだが、一体誰がシリングと呼ばれる金属の量を固定したのか?

商人か?彼らは確実に違う。その反対に、金儲けのために完全重量の銀貨を国外へ持ち出す悪党からの保護を求めて議会に請願していた。

密かに良貨を摩耗させる者か?もしそうなら、こうした悪事を働く連中が貨幣本位に及ぼす力は、国王と議会、商人の大群を合わせた力を凌駕する。その考えは議論するに値しない。加えて、摩耗したシリングは基準といったものではない。

それらが授受されるべき値段は、購入者と販売者の間で交渉する問題であり、しばしば大きな困難を惹き起こしている。実に、中世の間で頻繁に発生してきた通り、懐にある硬貨の価値を確実に知る者はいなかったのである。

「だがね」と勝ち誇った批評家が意見する。

「1,696年の重大な貨幣改鋳の法律は、損傷した硬貨を回収し、政府に大規模な経費を負担させ、完全な重量がある硬貨の全新規発行分と交換して、シリングの価値を再び確立する結果になったことを君は否定しないだろう。貨幣の増価がこうした寛大な措置の賜物であることを君はきっと認めるだろう。」

そうして、批評家は歴史家の全会一致の判定を挙げる。確かに歴史家は全員、シリングの減価を鋳貨の劣化した状態に、増価を貨幣改鋳の法律に帰着させる。

しかし、ここにおいて、彼らはマコーリー(Macaulay)に追従するだけで、彼の歴史は英語で創作された最大の作品として頓智で特色付けられている。確実に彼は、貨幣の問題に関する特別な研究を何1つ行っていない。



参考文献

硬貨の画像は、ウェブサイトAmerican Numismatic Society 『http://numismatics.org/search/』CNGを参照。
※1 グロ・トゥルノワ CNG

「銀行貨幣は、単に計算貨幣で表示される私的な債務の承認にすぎないのであって、それは人びとの手から手へと渡されることにより、取引の決済のために本来の貨幣と交互に並んで使用される。…それが今度は、国家貨幣それ自身のいっそうの発展へと先導する。銀行貨幣は…国家の負う債務を表わすものになり、そして次に国家はその表券主義的特権を行使して、この債務それ自身が負債を弁済するものとして受領されるべきことを布告するであろう。」『貨幣論Ⅰ:貨幣の純粋理論』ケインズ全集 小泉明・長澤惟恭 訳

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