第2次岸田内閣(2023年9月13日)の顔ぶれをUPしました

【翻訳】アルフレッド・ミッチェル・イネス『貨幣の信用理論』③

MMT翻訳
この記事は約25分で読めます。

現代貨幣理論MMTを支える理論の1つに、アルフレッド・ミッチェル・イネスの信用貨幣論『貨幣の信用理論(1914年)という論文があります。この…

原文を翻訳しました

次のように3つに分け、大まかにページ数を振っています。

  1. 編集者の注釈、本文(P151~P156)
  2. 本文(P157~P162) 
  3. 本文、結論の要約(P163~P168)

この記事はパート③を掲載しています。時間が無い方は、イラスト付きの『訳者あとがき』だけ読んでもOKです。

※1 参考・翻訳した文献The Banking Law Journal, May 1914』P151~P168
※2 個人の翻訳である点、何卒ご了承ください。翻訳上の誤りや分かりづらい点は、訳者に責があります。
※3 原文のイタリック体の箇所は下線表記、””箇所は「」表記

本文 (163~P167)

ある農家が、貨幣と引き換えに穀物を商人に処分する時、売却したと言われる。農家は、銀行券や小切手、硬貨、商人の手形または紙幣を受領する。ーどれでもよい。取引は、正真正銘、販売である。

ここで、農家が商人の紙幣を穀物の値段で受領し、商人は収益の目的で穀物を販売する代わりに、穀物を購入することが狙いではなく、持ち主のために預金の上で保管するだけで、持ち主や手形の所持人が、穀物と再度交換されるために手渡すまでの間、穀物を保管すると宣言したとしよう。

この商人の状況は、金の購入に関して、今日の政府と瓜二つである。農家は銀行家に預金し、それと引き換えに銀行家に対する債権を獲得する。そこでは、農家に関する限り、問題は決着するだろう。紙幣は、最終的に商人の銀行家に通ずるルートを辿り、銀行の帳簿上にある債権に対して相殺されるだろう。

商人が、政府のように事業が非常に多角的にある場合、彼の紙幣が大量に市場を出回り、誰もが、商人が受け取った時の値段で欲しいと思う場合、1枚の紙幣と引き換えに穀物を手に入れる困難はないだろう。

誰もその値段で欲しいと思わない場合、商人の手元に残留したまま、商人は支払われたはずの全額を逸失するだろう。

商人が採用する取引の見解は、農家にとって少しも関わりがない。農家は穀物を処分してから、もう1度それを目にしたいとは決して思わない。農家は欲しいと思ったもの、すなわち貨幣を手に入れ、それが気に掛ける一切である。

同じことが、政府と金の採掘業者や販売業者との関係に関しても該当する。彼らは金を造幣局に売却処分し、その見返りとして貨幣を手に入れ、それが全ての関心事である。政府が金をどう取り扱うかや彼等が採用している取引の見解は重要でない。

ここで、商人の行為を政府が執行しているとして考えると、商人は穀物を保管して自らの紙幣や手形を発行する代わりに、穀物を様々な寸法の袋に綴じ込み、封入した穀物の支払済金額を袋に記入して農家へ返却する。

つまり、この袋は貨幣であって、そのような不格好な貨幣が利用され得る場合、将来の紙幣や現在の硬貨と全く同じように流通する。

商人に対する債務者は、債務の支払いに無傷のまま返却する選択肢を持つか、希望する場合は穀物を消費することが可能であり、すると商人の債務は、その行動によって自動的に解消される。穀物袋と金貨の唯一の違いは、利便性の1つであり、一方は大きくて扱いにくいのに対して、他方は小さくて携帯性が高い。

ここで、どのような考慮が穀物袋を所持している人の判断に影響するだろうか?―穀物を消費する、または袋を無傷のまま保管してそれを以て債務を支払う、どちらだろうか?

明らかに商人は、義務に随伴して支払われ得る債務金額と比べて、穀物の市場価値から影響を受けるだろう。

穀物の市場価額が債務金額を上回ると、時を移さず穀物として消費される。

市場価額が債務と等しい場合、一部は穀物として消費され、一部は債務の履行に多分当面の間利用される。だがやがて、全部が製造工場に辿り着くだろう。

しかしながら、袋に記入された通りの債務金額が、穀物の市場価額を上回ると、袋は無傷のまま保管されて債務を履行するために利用される。

こうして、商人が穀物を購入している値段が、市場価格の通りか、上回るかは、流通している袋を見れば簡単に分かる。

商人が購入し続けている場合、流通している袋は増え続け、貨幣としての価値が穀物としての価値より高い確かな兆候である。

不可避的に訪れるに連れ、潮時になるとーあまり豊かな状態では全くないー商人が袋と交換するための債権をこれ以上提供できない時、穀物に支払った金額が、市場が消費として吸収できる価格を超過した分だけ、袋の価値は下落する。

P164(14/18ページ目)

これは、信用理論に対する最も重要な必然的帰結の1つである。

硬貨は、その名目価値が配合されている金属の内在価値を上回る場合、どんなに僅かな期間でも流通し続ける状態以外にならず、これは理論的にも歴史的にも妥当する。実際に自明と受け取られる可能性はあり、自分達で錯誤の迷路に囚われなければ、将来そうなるのは自明である。

この必然的帰結をアメリカのような国に適用すると、そこでは金が粗方流通せず、大部分が証明書に備えて大蔵省に保管され、次のように宣言されている。

―金は、受領時点の公定価格が市場価値を超える場合を除き、交換せずに未処理の証明書に備えて僅かな期間でも保管することを禁止する。

このように宣言されているため、その行動指針は歴史の試練に耐えることができない、なぜなら、政府の行為を通じた金の貯蔵は、近代的な向上であり、実施が採用されて以来、価格が法律で統制され、現在の市場価格が幾らか分からないためである。

ところが一旦、通貨単位が、金属の重量ではなく、「価格」という言葉が、他の商品と等しく金に適用する行動指針(あらゆる合理的な疑問の余地なく、史実的に証明され得る)を受け入れると、現存している未処理の証明書に備えている金は、市場から要求された場合、現存している未処理の倉庫証書に備えている穀物や銑鉄より多く保有できないのは一目瞭然である。

まさに「市場価格」という表現は、「市場」が利用可能な供給量の全部を吸収する価格を指している。

市場が金を時価で要求している場合、言うまでもなく、証明書が兌換のためにすぐさま進呈される。現在、アメリカ合衆国の財務省には、およそ10億ドル相当の金が未処理の証明書に備えて保管され、保有量が年間約1億ドルの割合で増加している。

かりに「造幣価格(mint price)」と呼ばれる金の公定価格が、商品としての金の市況価格より高くないとすれば、そうした状況が他のどの商品にも増して起こり得ないのは明らかである。

さながら政府が、国内の卵を丸々既定の値段で購入してから、安い値段で売却するより寧ろ冷凍保管するようなものである。

無論、金を政府価格より安価に購入できないため、金の一定量が消費のために引き出されるが、金が通常の商法で規制された状態になると、価格が下落して金鉱の出資者に莫大な損失と残りの人々に大いなる恵みをもたらすのは何らの疑問もない。

したがって、私は、直近の論文で、世界の政府が金を法外な値段で据え置いていると述べたのである。

今の金と同じように卵を信頼する場合、卵は現在確か1個あたり1ドルで販売されている。それらが世界各地から船積みでニューヨークへ流れ込む。その到着は金融紙から嬉々として歓迎され、財務長官は、年次報告書の中で、国内の健全な金融環境の目に見える兆しで満足の意を表明するだろう。

訪問者達は、貴重な品が保管された巨大な政府金庫室の凍てつく廊下を行進し、アメリカ合衆国の驚異的な富を感嘆の念で熟視する。カスタードは、富裕層の食卓で御馳走になるだろう。

ここで束の間、偏執な穀物商人に話を戻して、彼が置かれている状況の特異性が、アメリカ合衆国の金融情勢をより浮き彫りにできるか確認しよう。

私が思うに、それが物価上昇の問題に非常に多くの光を投げ掛け、問題が深刻であるため、今日の政治家で、その出来事が生じる経緯を単純かつ自然に説明し、その進行を食い止める方法を示した理論を素通りできる者がいないと承知しておかなければならない。

仮に商人がたった1つの取引手段で存続し、穀物に他の商人より高い代金を惜しまず支払う場合、穀物が彼の倉庫へ流れ込み、市場は商人の紙幣や購入金額の債務を表示する穀物袋で溢れかえるだろう。

どんなに商人が裕福でも、彼の債務は瞬く間に債権額を超過する。銀行家は商人の紙幣や袋を額面価値で受け取ることを拒み、割引料金まで下落する。

商人は、袋が完全な重量である限り、自分の手形と袋は目的に適い、購入時点の価格で手形を買い戻すだけの穀物を倉庫は格納していると抵抗するが、その努力は実らない。銀行家は、穀物は商人の値段では売れない、穀物ではなく債権で債務を履行しなさいと返答する。

P165(15/18ページ目)

これが商人に関して当てはまる場合、政府発行に関しても該当しなければならない。政府が現に金を法外な値段で購入し続け、結果、速やかに利用可能な債権を超過する至急支払うべき債務を発行し続けている場合、その後に債務の価値が下落し続けなければならない。

政府の桁外れな能力によって、立法化の権限と商取引や金融取引の及ぶ莫大な範囲を通じて部分的には、多少現実を覆い隠せるかもしれない。だが、探り当てる事ができるのなら、事実がそこになければならない。そして、事実は上昇する物価という形で存在している。

まず始めに、政府が債権を上回る債務を発行し続けているか確認しよう。

2つの論文で主張したことから示されるのは、政府の貨幣発行は、相応の税金によって満たさなければならない重要な原理である。債務にその「価値」を与えるのは、税金である。貨幣1ドルとは、作られている材質ではなく、それを償還する義務を課された税金のドルを根拠にした1ドルである。

ただ、何を確認しているか?アメリカ合衆国政府は、相応の税金を課すことなく、金と引き換えに上限額のない債務を発行している。その結末は、その消滅に役立つ規定が1つも無いまま、始終増加し続けている膨大な流動負債の存在である。

確かに、政府紙幣は全て金貨と兌換できる。しかし、紙幣の発行を金貨で引き換えることは、兌換では決してなく、同じ性質の1つの形態を別の形態と交換しているに過ぎない。

この債務は、現時点で30億ドル近くに上り、金が造幣局に持ち込まれ、政府債務の刻印が付いた状態で所有者へ返還され、証明書に備えて大蔵省に預託されると共に必然的に増加している。

この金額の内、約1/3が日頃から流通している。流通している硬貨と紙幣に関して、政府に対する国民の立ち位置は、銀行に対する銀行券所持者の立ち位置と厳密に同じ関係である。国民は、政府に対する預金者である。

ただし、硬貨と証明書の大部分については、日頃は流通*8せず、政府が営利企業や銀行と同じ立場にあると仮定した場合、国民が債務の支払いを要求して適切に履行されなければ、債務者は破産を宣告される。

しかし、政府の資金需要が民間人と変わらない上に、銀行券の「支払い」に有するのと全く同じ権利を金貨の「支払い」にも有することを理解していないため、政府にそうした要求を課すことが想起されず、硬貨と証明書が銀行に堆積している。

状況がそのようなものであるため、信用理論が正しい場合、アメリカ政府の通貨が減価し続けている事に疑問はない。しかし、これが事実なら、ここで展開された基本原則に従って見出すべきは、中世で類似した状況が発生した時と同じ現象が今日にも有る、とこれまで学び取ってきた人達に苦もなく想起されるだろう。

すなわち、2つの通貨基準、高い基準が切り下げられていない銀行基準であるのに対して、前者と同じ名称の切り下げられた政府基準が存在することになる。

要するに「銀行ドル(bank dollar)」と「流通ドル(current dollar)」という2つのドルを発見することが期待でき、それによって私達は中世と全く同じように2つの商品相場を有し、銀行相場が卸売業者に利用され、将来的に鋳貨の基準となる流通相場が小売業で利用されているだろう。

さらに、銀行貨幣から見た卸売相場が概ね静態している一方、小売相場は上昇し、2つの隔たりが徐々に大きくなっていることを多分確認するはずだろう。


*8小さな単位で通貨の発行を独占する政策が原因で、流通金額の大部分が、1年の中で特定の季節に増加している。

P166(16/18ページ目)

しかし、このことを何も検知していない。

その反対に、政府通貨の特異な減価はどうも無いようだが、代わりに物価の漸次的な上昇が存在し、上昇があらゆる貨幣の減価を含意するならば、発行主体を問わず、全ての貨幣が減価していたことをはっきりと示している。

それ自体で考慮される場合、信用理論の中には特に何もなく、銀行貨幣や商業貨幣の全面的な減価が、政府側の債務超過に後続したことを学生に考えさせるだろう。

物価の上昇が、大半の著述家に受け入れられた説明としての、貨幣の全面的な減価を現に意味していると仮定し、政府通貨に関する限り、減価が信用理論によって満足のいく形で説明されるとしよう。原因を帰着させなければならない事は、この減価が政府通貨に限定されず、国内の貨幣全体に共有される事実である。

数多くの困難が、この疑問を取り巻いているのは速やかに認めざるを得ない。物価を制御する商業の影響力に関する仕組みは、以前から常に曖昧であり、少なくとも以前よりそうである。ー恐らく、実際は更にそうだろう。

アメリカでは、物価調整のそうした強力な要因である主要同盟に加え、生産物市場に影響を及ぼすオペレーターである巨大な投機筋の金融関係者が、どんなものでも、国民にその秘密を明かさない。

たとえ私達が、生産コストの上昇、人間の消費や関税、トラスト等の拡大を曖昧に語るとしても、特定品目の物価上昇が発動する経緯について、正確な知識を少しも持たないような有様であり、非常に多くの大小様々な取引を事細かに包括した正確で具体的な情報を入手できるまでは、どの理論に拘るとしても、物価上昇の背後にある影響力に関して皆目見当も付かないような状況で適切な取引状態にしておくべきである。

以上、前置きの所見を述べたので、次に銀行貨幣ではなく、政府通貨が減価すると、現在の環境下で後続するのが、全国的な貨幣の全面的な減価、つまりは物価の全般的な上昇であり、政府通貨や静態している銀行貨幣から見た物価の単なる上昇ではないことを信頼できる有力な根拠と思われるものを説明しよう。

歴史を通して、銀行貨幣が政府通貨の下方進行にまもなく追従する一般的な傾向があると見られ、2者間に一線を引く難易度が以前より必然的に上がっているのは、今日における政府通貨の減価が、以前より緩慢になったことで気付かぬ内に進行している事実が原因でもあり、市場にある膨大な政府通貨量が、中世に比べてそれを交易の圧倒的な支配要因にしているためでもある。

今し方述べた通り、アメリカ合衆国の政府通貨が現在約30億ドルあり、年間1億ドルの増加分は、それ自体多額でも全体の4%未満しかない。

さらに昔日において、「変造」が当日の内に挙行された一方、硬貨がたった1回の布告で50%も削減された時、現時点における政府通貨のインフレーションは、金が造幣局へ運ばれるに従って日々緩やかに昂進している。こうして、減価し続けていることに気が付かない。

同様に昔は、政府の財政難が銀行家と商人にあまねく知れ渡り、彼らは引換券が発行される度に、まもなく恣意的な切り下げが続くことも承知していた。こうした環境下では、銀行家が理性的にある限り、額面通りの価格で受け取らず、政府通貨と銀行貨幣の間に明確な区別を引きやすい。

しかしながら、今日通貨に何某かの欠陥があることを意識していない。その反対に通貨に十分な自信を見出し、制度が唯一の健全かつ完璧なものであると過信しており、このように政府発行を低く取り扱う基盤がない。

政府の通貨が政府の負債であることを意識しないまま、追加の貨幣発行が既に膨張した流動負債の拡大であることを認識している立法者から懸け離れ、議会は、新たな連邦準備法によって、金貨と兌換可能な範囲なら恐れるに足らずという信念で大量の新発債を提案している。

P167(17/18ページ目)

しかし、状況の中で圧倒的に重要となる要因は、銀行が銀行負債の15、20、25%(場合による)を政府通貨で維持しなければならないと規定した法律である。

この法律の効果は、銀行がこの法令準備金を維持する場合に限り、どんな上限額でも貸出を適正に続けることが可能であり、従って通貨が膨張すると銀行の負債が増大する知見を普及させた点である。こうした考察の意義は、国民の関心に印象を残す上で、どれだけ真剣でも真剣であり過ぎることはない。

銀行の貸付能力の上限として多分意図された法律は、健全な貨幣の原則を黙殺し続けることで、実質的に過剰な貸付の主な原因と物価上昇の主要因になっている。政府債務の新たな膨張がある時は必ず、創出された政府債務の4~5倍にあたる過剰な銀行貸付を誘発する。

この冗長な通貨の何百万ドル相当は、銀行預金残高の支払いに日々利用される。しかも、その数百万が他の目的では利用されない。それらは、ニューヨーク手形交換所の金庫室に所在し、権利が証明書によって移転される。この証明書は、フランス語で「行き来する(font la navette)」と言う。行ったり来たり、あちこち、銀行から銀行へ空気を縫うように移動する。

この方法による手形交換所の差し引き支払いは、通貨が冗長になる場合を除くと発生しない。実態は支払いに全く該当しない純粋に架空のオペレーションであり、銀行が支払わなければならない債務を、政府に担われる債務で代替した物である。支払いは、2つの債務と2つの債権の完全な解消を伴い、この解消が手形交換所の債務を支払う唯一の法的手段である。

したがって、冗長な通貨が存在すると、第1に貸付の「基準」として、第2に手形交換所の差し引き額を支払う手段として仕えることで、2つの経路を通じて銀行貸付を膨張させるように作用する。

ニューヨーク手形交換所の反対に作用する差し引き代金の支払いで、1,000万ドル以上が1日に1つの銀行による政府通貨の移転1回で支払われる。

政府通貨の膨張が銀行貨幣の膨張を惹き起こすのと同じ様に、そうして間違いなく銀行貨幣の膨張は、民間取引業者の債務超過を相互間にして惹き起こす。債務の潮流は、銀行貨幣が流入すると共に拡大する。

そのような状況が、貨幣価値の全面的な減退をもたらすに相違なく、否定できると思しきものはほぼ皆無である。だが、債務と債権の全般的な過多が、こうした結果を生み出す経緯について正確に説明を求められた場合、説明できないことを認めなければならない。

また少なくとも、説明不可能であるのは、現在の著述家によって甘受せざるを得なくなっている。たとえ商業の事象により多くの知見を持つ人が、知識が不足した後釜になることが多分できたとしても。

需要が供給を上回る時、特定商品の価格が上昇する成り立ちを理解することは簡単である。債務超過が原因で財政難の状態にあると知られる場合、特定の国や銀行の貨幣が減価する経緯を確認することは容易である。私達は、仕組みの働きを理解できている。

しかし、誰1人として、貨幣が減価している原因を特定できない時、その存在に気付かないような債務と債権の全般的な過多によって物価が上昇している過程をどう見極めたらよいだろうか?

その真相は、既に紹介した購入者と販売者の釣り合いを崩す物に見出される可能性がある、と私は考えている。

貨幣は通常の環境と比べて入手しやすく、買い手が己の財にできる限り高い値段で買い付ける力は削がれない一方、最小限に支出したい望みは抑えられ、抵抗も空しく主導権争いに敗北する。

奢侈の全般的な性向が新たに生まれると、販売者は購入者に対する勝負を制することができる。実際、購入者の眼に映る貨幣は、その価値を失っている。彼は、値段の多寡に関わらず、その場で欲しいと思う物を持たざるを得ない。

他方、資本家が債権を獲得することを過度に容易にすると、商品を投機的により高い値段で据え置くことを可能にする。通常は持つことがない能力を投機家の手中に握らせる。

結論の要約 P168(18/18ページ目)

これは、しかしながら、私の方での示唆に過ぎず、物価が上昇する仕組みの完全に納得いく説明を行ったと言うつもりはない。販売者は同時に購入者でもあり、購入者は同時に販売者でもあり、人が、その能力において、販売者が購入者よりも力を持つ節理は決して明らかではない。

しかしながら、物価上昇の仕組みに関する主題の全容は、現在の著述家が自称する以上に商業機構の詳細な知識を持つ人達側による綿密な研究は、評価に値するものである。

この論文を閉じる前に、最も興味深く、総じて理解に乏しい政治経済分野の学生の前で開陳する筆者の狙いであった主要論点を要約することが有益かもしれない。

  • 交換の手段というものは存在しない。
  • 売買は、信用と商品の交換である。
  • 債権と債権単独は、貨幣である。
  • 通貨単位は、債権と債務の抽象的な評価基準である。それは変動に対して責任を負い、債権と債務が均衡する法則が観察される場合のみ、安定した状態になる。
  • 債権は、債務を解消する。これは商業の原初的な法則である。売却によって債権は獲得され、購入によって債務は創出される。購入は、故に、売却によって支払われる。
  • 商業の目的は、債権の獲得である。
  • 銀行家は、人類の債務を寄せ集め、相互に解消させる者である。銀行は、商業の手形交換所である。
  • 硬貨は、債権の道具か債務の引換券であり、発行主体を問わず、その性質において割り符や貨幣の他の全形態と同一である。
  • 貨幣の発行は、政府の排他的特権ではなく、財とサービスの巨大な購入者としての機能の1つに過ぎない。
  • 貨幣は、何某かの形態で、実際に銀行家や商人等によって発行される。
  • 中世における貨幣の減価は、硬貨の重量と純度を恣意的に落としたことが原因である。その逆に、中世の政府は戦争やペスト、飢饉を原因とした減価に抗って苦闘した。―端的に言って、債務超過が原因である。
  • 現代まで、通貨単位と鋳貨の間にどんな固定的関係も存在しない。
  • 貴金属は、価値の基準ではない。
  • 債権の価値は、背後にある金の有無ではなく、債務者の支払い能力に依存する。
  • ある時点に支払われなければならない債務は、その時点で利用可能となる債権によって唯一相殺可能である。
  • 政府通貨は、課税によって回収される。
  • 政府は、金の断片に刻印することで、金の性格を単なる商品から負債の引換券に変換した。
  • 紙幣を金貨で引き換えることは、兌換では決してなく、同じ性質の1つの形態を別の形態と交換しているに過ぎない。
  • 銀行にある「法定通貨の準備金」は、他のどの銀行資産とも同じく意義を有していない。
  • 法定通貨制度は、混乱を助長させている。
  • 世界の政府は、金を買い占め、法外な値段で据え置くために共謀してきた。
  • ドル硬貨の名目価値は、材質となる金の市場価値を上回っている。硬貨は、その名目価値が内在価値を上回る場合、どんなに僅かな期間でも流通し続ける状態以外にならない。
  • 過剰な価格で固定された金と交換するために硬貨を発行すると、それを回収するための税金が導入されなければ、政府通貨のインフレを惹き起こし、その後に過剰な流動負債と政府通貨の減価を惹き起こす。
  • 銀行にある「法定通貨」の巨大な準備金は、政府通貨が膨張した形跡である。
  • 政府通貨の膨張は、国内の至る所で信用の更なる膨張を誘発し、その結果として貨幣の全面的な減価を惹き起こす。
  • 貨幣の減価は、上昇している物価の原因である。



訳者あとがき(イラスト付き)

ミッチェル・イネスは、例え話が多く、この第2論文でも登場します。議論を多く費やした例え話なので、イラストで見ていきます。

農家と商人の話 第1話

イネスは、2人の人物が登場する話をしました。

この2人の取引を例え話として、当時の貨幣制度を考察しました。


まず、農家が商人に穀物を渡すと、

商人は、自分で発行した紙幣を農家に渡しました。


次に、農家は、お抱えの銀行家にこの紙幣を預けました。

すると、農家担当の銀行家は、銀行の帳簿上で農家の預金を増やします。


今度は、商人を担当する銀行家が、紙幣の処理に取り掛かります。

農家の増えた預金と同じ金額だけ、銀行の帳簿上で商人の預金を減らします。

『農家は銀行家に預金し、それと引き換えに銀行家に対する債権を獲得する。そこでは、農家に関する限り、問題は決着するだろう。紙幣は、最終的に商人の銀行家に通ずるルートを辿り、銀行の帳簿上にある債権に対して相殺されるだろう。』

こうして、商人に発行された紙幣が処理され、お金のやりとりが完了します。


ところが『無事に取引を終えた』と思った農家に対して、商人が…

『穀物を買ったのではなく、預かっただけです』と奇妙な事を言い出しました。


商人は、紙幣を渡した相手(譲り受けた人も含む)から紙幣を返還された時、

『預かった穀物を返却する』と宣言し、その通りに行動しました。


この商人の行動は、当時の政府を例えたものでした。

当時、政府は『金本位制』の下、貨幣を金と交換していました。


この穀物(現実の金)の値段は、市場で上がったり下がったりします。

そのため、取引時点の穀物が、以前発行した紙幣と同じ価値だとは限りません。


この価値が変動する穀物を、1番最初に提供した農家からすると…

商人との取引で紙幣を入手できれば、それで十分だと思うだけです。

商人が採用する取引の見解は、農家にとって少しも関わりがない。農家は穀物を処分してから、もう1度それを目にしたいとは決して思わない。農家は欲しいと思ったもの、すなわち貨幣を手に入れ、それが気に掛ける一切である。』

取引を終えた農家が、穀物を後で取り返そうと思う事もありません。


この農家の行動は、金の業者を例えたものでした。

『同じことが、政府と金の採掘業者や販売業者との関係に関しても該当する。彼らは金を造幣局に売却処分し、その見返りとして貨幣を手に入れ、それが全ての関心事である。政府が金をどう取り扱うかや彼等が採用している取引の見解は重要でない。

金の業者は、農家と同様に紙幣を入手できれば、それで十分だと思うだけです。

金を預かっても、金の取引は取引のまま

イネスは、預かるという考えが取引の性質を変える事はない、と主張しました。

農家と商人の話 第2話

続いてイネスは、第2話を創作しました。

農家は、様々な分量の穀物を商人の所へ持ち運びました。


商人は、分量に見合う寸法の袋に穀物を詰めた後、

袋の口を結んで、そのまま返却しました。


『同じ物をただ返却しただけじゃないか』と怒った農家に対して…

商人は『袋に金額を書いた。これで支払ったのだ・・・・・・・・・。』と宣言しました。イネスは、この袋を貨幣に見立て、流通する訳を説明して行きました。


実際に、農家が袋を開封すると、

持ち運んだ穀物が、そのまま入っていました。


袋の外身に記入された1万円の金額以外に…

袋の中身には、穀物の市場価格という金額が存在しています。

外身と中身、2種類の金額がある

すると、農家は「袋をどっちの金額で利用しよう?」と迷ってしまいます。


外身の金額が、中身より低い(例:穀物が11,000円の)場合…

農家は、穀物を渡した方が得なので、袋を開封して穀物を渡します。


外身と中身の価値を比較すると…

外身の価値10,000円は消滅して、中身にある穀物の価値で通用します。


逆に、外身の金額が、中身より高い(例:穀物が9,000円の)場合…

農家は、袋で渡した方が得なので、開封せずに袋を渡します。


外身と中身の価値を比較すると…

穀物が袋に封入されているにも関わらず、外身の価値10,000円で通用します。

外身が中身を上回ると、貨幣として流通する

以上、一連の議論について、イネスは次のようにまとめました。

こうして、商人が穀物を購入している値段が、市場価格の通りか、上回るかは、流通している袋を見れば簡単に分かる。商人が購入し続けている場合、流通している袋は増え続け、貨幣としての価値が穀物としての価値より高い確かな兆候である

購入とは、袋に記入して返却する作業を指しています。


つまり、貨幣は、その価値が中身の穀物で裏打ちされることはありません。

中身は無くても構わない

袋に詰めない分、穀物を消費や販売に回せるため、ずっと合理的です。実際に、袋の中身が空っぽでも、

外身の価値が人々から承認される限り、袋は貨幣として必ず流通します。

第1・2話 まとめ

以上、ポイントをまとめると…

第1・2話 ポイント
  1. 金を預っても、金の取引は取引のまま
  2. 外身と中身、2種類の金額がある
  3. 外身>中身なら、貨幣として流通する

他にも沢山の論点がありますが、例え話に絞って議論を紹介しました。

参考:信用貨幣論 用語集

袋の外身と中身、2つの価値があることを見てきました。

この中身の価値を内在価値、外身の価値を名目価値と言います。

硬貨は、その名目価値(外身)が配合されている金属の内在価値(中身)を上回る場合、どんなに僅かな期間でも流通し続ける状態以外にならず、これは理論的にも歴史的にも妥当する。

以上、論文で登場する用語の紹介でした。


「兌換銀行券の歴史的先駆者はゴールドスミス・ノート(goldsmith’s note)である。ゴールドスミスはもともと地銀および宝石類の細工匠またはそれらの販売承認にすぎなかったが、その業務の性質上、貴金属にたいする火災や盗難のおそれのない安全な保管設備をそなえていたために、16世紀頃から貨幣の保管を行うようになったが、17世紀の3,40年代になると、ゴールドスミスへの貨幣の預託の習慣もほぼ一般的となった。

ゴールドスミスは最初この保管した貨幣を金庫かあるいは封印された袋の中で保管し、みずからがこれを使用することは許されなかったし、保管匠が保管者に渡した預り証(receipt)ーこれがゴールドスミス・ノートと呼ばれたものであるー、はたんなる倉庫証券にすぎないものであって、他人に譲渡されることはなかった。しかしその後「預金保管者は、同額の貨幣が要求次第預金者に変換されうるならば、預けられた貨幣をかれの自由に使用することを許された。かくて受託者ゴールドスミスは、預金者の債務者に発展した。預金者は、その貨幣をゴールドスミスに《報酬を受けて》貸す投資者となった。」 『貨幣論』麓健一

「その結果、いまや金の価格は「人為的な」価値によっており、その将来の動きは、ほとんど完全にアメリカ合衆国の連邦準備局の政策にかかっている。いまや、金の価値は自然の偶然の産物の結果でもなく、また、個々に作用する多数の当局や個人の判断の結果でもない。…[金本位の]若干変容した金為替本位を用いる傾向および人びとの懐中から永久に金が消えてしまうことは、金本位制採用諸国の中央銀行が厳密に必要とする・・・・・金準備が、実際の金供給よりもはるかに少額ですむことを意味する。…もし、連邦準備局が、ドルの価値を金の流出入には無関係な水準に維持しようとするのであれば、不要の金を高価な値段で造幣局が購入し続ける理由はどこにあるであろうか。」『貨幣改革論』ケインズ全集 中内恒夫訳

【手形交換所】
「手形交換所は、銀行間における手形上の債権・債務を集中することによって、それらの相殺を促進するための機関である。この手形交換所は、1,773年頃、ロンドンの個人銀行業者(ゴールドスミス・バンカー)達の手で設立されたClearing-Houseが最初のものといわれている。

…1,864年、イングランド銀行がこの手形交換所に加盟し、イギリスの手形交換制度の確立をみるようになるのである。わが国では、明治12年に大阪手形交換所が、20年には東京手形交換所が、それぞれニューヨーク手形交換所の精度にならって創立されたが、24年(1,891年)に改組され、ロンドン手形交換所にならい交換尻決済の方法として日本銀行の当座勘定による振替制度が採用された。」『貨幣論概要』P131 原 薫 / 遠藤 茂雄

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