現代貨幣理論MMTを支える理論の1つに、アルフレッド・ミッチェル・イネスの信用貨幣論『貨幣の信用理論(1,914年)』という論文があります。この…
次のように3つに分け、大まかにページ数を振っています。
この記事はパート②を掲載しています。
※1 参考・翻訳した文献『The Banking Law Journal, May 1914』P151~P168
※2 個人の翻訳である点、何卒ご了承ください。翻訳上の誤りや分かりづらい点は、訳者に責があります。
※3 原文のイタリック体の箇所は下線表記、””箇所は「」表記
本文 (157~P162)
そこで、もう少し詳細に事実を確認してみよう。
これまでの貨幣の切り下げ人は、国王ジャンや国王フィリップ、エドワード、ヘンリーではなく、負債の偉大な創造者たる戦争の王であり、彼の副官、ペスト、家畜伝染病に助長され、農作物を台無しにした。―実際には、債務が期日通りに解消されることを阻んだ全てのものである。
これまでの貨幣価値の修復人は、貨幣改鋳の法律ではなく、信用の偉大な創造者たる平和であり、この言説の変わることがない真実に貨幣の信用理論は多くを委ねられている。
ときに7年間 ―1,690年から1,697年まで― 国は、その当時までの英国史として知られる限りの最も犠牲を払った戦争に明け暮れていた。
同盟国の軍隊は、新たに獲得された兵力と、自分の人生を人のために奉仕し、お金を出し惜しむ手で生活必需品を小出しにした、偉大なオランダ人の気質に感謝する国の残余と大差ない力不足を感じつつ、イギリスの補助金や議会によって、その大部分が維持されねばならなかった。
それと併せて、為す術もなく低温多湿な一連の季節が、ジャコバイトが神の僭主に対する呪いによるものだとして、農業に深刻な損害を与えた。年貢の納付は半分まで下落し、人々は税金を納めることができなかった。国は、借金で首が回らなかった。
ここで、刮目せよ。
1,694年、戦闘員は既に疲弊し、和平交渉は首尾よく着手されなかった。1,695年の間中、戦争は棚上げにされ、平和が絶対的に必要だったのは一目瞭然である。1,696年に戦争は事実上終結し、1,697年に講和条約が調印された。
流動負債は、新設されたイングランド銀行の代理人と諸外国に対する債権を確保する通商を経由して資金が供与され、再び拡大することができた。
これら3つの要因は、イギリス通貨の価値が回復したことを説明するのにあり余る程十分であり、仮にその当時、貨幣の性質を理解する者が1人でもいた場合、巨大な流動負債の創出が貨幣の価値に与える破滅的な影響を完璧な確実性をもって予想できたはずであり、平和の治癒効果と負債の資金調達、農業が栄えた状態に復帰することを予知できたはずである。
彼は、政府が貨幣改鋳の法律による全く余計な支出(小さい、但し、債務総額と比較した時)なしに済ます事を可能にしたはずである。その難局を緩和するどんな取り組みからも懸け離れ、法律が危機を先鋭化させ、国の財政がやがて正常な状態に復帰したのは、法律であったにも関わらず、法律のおかげではない。
ここで束の間、負債の資金調達という性質を説明するために本題から外れなければならない。
以前の論文で述べた。
「すなわち、ある人は、至急支払わなければならない債務と同額以上、且つ支払いに向けて進呈される即刻利用可能な債権を所有している場合のみ、支払い能力を有することになる。したがって、差し迫った債務の合計が、足元にある債権の合計を超過すると、債権者に対する債務の実質価値は、債権額と等しくなる金額まで下落する。」
同じ事が、言うまでもなく、1国の債務に適用される。
通貨単位の減価に影響力を持つ債務は、代金を支払うための規定が何もない形で契約されるもので、法定紙幣の事例のように即刻支払われるか、短期で支払われるかのどちらかであり、それを解消させる債権の不足に対応するため、常時再更新する必要がある。
ウィリアム国王の戦債は、イギリス軍隊の維持と同盟国を扶養してきた援助金支出を目的として引き受けされた。1,694年、イングランド銀行を名乗る富裕な英国商人の組合は、戦費を支払う資金を提供する明確な目的で組織された。彼らは大量の金ではなく、直ぐに利用可能な債権を提供した。
つまり、国内外で大量の債権を所有して牛耳ることができた商人達は、その債権を駆使して政府に負担されている債務の解消を請け負うと同時に、自分達に年利で支払う政府の条件として、政府に対して獲得した債権を支払いに供出しないことを約束した。
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これは、負債の資金調達や公債の募集が意味するものである。政府に関する限り、政府の差し迫った流動負債は無効となり、結果として通貨単位の価値に影響を及ぼさくなる。
支払いを要求する債務の足枷に代わり、恐らく元手の5~6%より少ない債務の利子が存在し、通常の環境下で、1国が条件を満たすのに困難でない金額である。
私が金属的基準という理論を支持する人の議論にある誤謬をよく知る他のどの事例よりも優れて暴露するという理由で、1,696年の金融情勢について詳論してきた。
彼等にとって、基準は金属の小さな1断片であり、誰かが(一瞥した所、誰もが)その体積を削減するか、不純物や留め金を聊かでも混入するでもしない限り、不変の状態であり続けるに相違なく、いかにも政府が紙幣に強制通貨を授ける場合を除くと、標準的な金属で支払う保証であると経済学者に信奉され、従って維持されて保証が履行できない場合は下落する。
続いて検証対象となるケースでは、1,810年の地金委員会(the Bullion Committee)が行った通り、ポンドの下落が、イングランド銀行券の過剰発行が原因であると主張することはできない、なぜなら中央銀行は始動したばかりで、紙幣の大規模な流通が存在し得なかったためである。
アメリカ独立戦争や南北戦争の事例のように、政府紙幣の強制通貨に原因を求めることもできない、その理由はこの事例では、政府紙幣のお金が存在していないからである。結果的に、経済状況の現実が黙殺されたことで、鋳貨の摩耗に帰着された。
鋳貨の操作を通じた通貨単位の裁量的な切り下げを軽薄に話す連中は、人々が長期の利用によって慣れ親しんできた計算基準のあらゆる変更も完遂させることが如何に難しい仕事であるのか、について理解していない。
政府通貨が半永久的に減価し、一層低い水準で固定されるようになった時も、歴史が示す通り、銀行家が新しい基準を導入するのに長い時間を要してきた。
最も強力な政府でさえ、既存の度量衡制度を変更する難しい任務を引き受けることに躊躇する。イギリスやアメリカの科学的な人は全員、メートル法を導入する方に傾き(イギリスでは)貨幣の10進法を選好し、そうして多年にかけて変更は力説され、推奨されてきたが、これまで成果を伴っていない。
否、硬貨を削り取る輩(clippers)が、貨幣の基準を変更できる権力を行使したのだ、と丸め込むのは無理がある。おっと!話題に上っているより小さな変化も大きな困難を伴っている。
イギリスでは、度量衡が法制や局所的な措置で標準化されてきたにも関わらず、地方の基準は尚残存し続け、現在も日々利用されている。
フランスでは、基準を変更するための大改革が必要とされ、国内の小売業は、公式のフランやサンチーム(franc、centime)ではなく、未だスーで計算されている。
エジプトでは、ここ長年の間、パラ(faddah)が公式に無効化し、10進法のミッリーム(millieme)が公定の変更でも、小作人は依然としてピアストル(piastre)を40パラに分割している。
ジャーナルの1,913年5月号で、私に割かれた紙幅で行うことができた貨幣の信用理論に関するこの僅かな素描に加え、その理論を裏付ける根拠の当該号と本号の概略的な指摘について、歴史の小道と横道にいる学生が探すことを期待するかもしれない。―これは、差し当たって不足が無いようにしなければならない。
私は、新たな教義への転換が急進的であることを望まないが、貨幣と通貨、銀行取引の問題が一層熱心に研究されることで、貨幣の金属的理論が何年も前に断念されなければならないと確信している。
古い理論で説明可能なこうした問題は、まさに何1つ存在しない。品定めをして篩に掛けられると、金属的基準という理論を支える根拠は、文字通り何も存在しない。
通貨単位が鋳貨と別個なものである事実は、目新しい発見ではない。それは、アダム・スミスの時代より前に著述をしていた有名な経済学者ジェームズ・スチュアート卿(Sir James Steuart)に指摘され、現代の著述家では、ジェヴォンズ(Jevons)が現象に注意を促している。
より古い著作物の中に「計算貨幣(money of account)」と「想像貨幣(ideal money)」の表現が頻出していることから、その考えが多くの人々にとって馴染み深かった事を示している。
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中世の時代が徐々に経過するに従い、政府支出の拡大が硬貨の大幅な増量をもたらし、貨幣が自ずと鋳貨と一体視されるようになり、鋳貨は、取引が良好な状態にある時に豊富に流通し、売買するものが僅かしかない不況の時代に消滅した。
従って生じたのは、硬貨の潤沢さが繁栄を意味し、その欠乏が貧困の原因であるという一般的誤解である。
国王が新規の鋳貨で不足を補おうとする際、新たな硬貨は古いものと揃って不況期に消滅し、その出来事は、悪意のある輩が国外へ持ち出し、溶解し、私利のために貯め込み、重い刑罰が犯罪者に対して判決され、犯罪者はその行為によって国家を困窮に陥れたという想定に基づかない限り、説明不可能である。
高い内在価値の硬貨(全体の非常に小さな割合)、フランスの所謂穢れなき貨幣(monnaie blance)がその公定価値を超過した時、一定量の輸出と溶融が起きたことに疑問はないが、より多くの硬貨を求める平俗な要求の理不尽さは、あの昔の優れた経済学者ボアギルベール(Sieur de Boisguillebert)によって白日の下に晒され、彼は硬貨のすぐにそれと分かる潤沢さと欠乏が人の目を欺き、いずれの状況も鋳貨の量はほぼ同じであり、唯一の相異は、取引が活発にある間、数が多く見えた迅速な流通による硬貨は、それと比較してほとんど無いと指摘した。
資金繰りが難しい時代の間、取引が中世で稀に生じた訳ではないにも関わらず、ほぼ静止状態にあり、硬貨は欠乏していたようである。
現在の著述家は、貨幣の信用理論について明確に述べた第1人者ではない。この栄誉は、あの特筆すべき経済学者H.D.マクラウド(Macleod)に属している。
多くの著述家は、確かにある程度の信用手段が「貨幣」という用語に包含されなければならないことを支持してきたが、マクラウドは銀行取引と信用*5について科学的に論じ、貨幣が信用と同一視されなければならないことを独力で見抜いたほぼ唯一の経済学者として私に知られ、この論文は彼の教義のより首尾一貫した論理的発展に過ぎない。
マクラウドは、自らの時代に先駆けて書き著し、正確な史実の知見が不足していたことで、信用が金属硬貨の最も古い利用より古来であると認識するに至らなかった。
彼の着想は、故に、それ自体を完全に明確化するものでは決してなく、売買が信用と商品の交換であり、金属の断片や他のあらゆる有形財産と商品の交換ではない基本的な理論を系統立てて説明できなかった。
その理論に横たわっているのが、貨幣の科学全体の本質である。
しかし、この真実を把握しても尚、現在の知見では完全に排除しきれない曖昧さが残されている。
通貨単位とは、何か?
1ドルとは、何か?
分かっていないのである。実際、確実に言えるのは―この点において、本論文で簡潔に提示できた根拠は、一点の曇りもなく決定的である事実を重ねて強調しておきたい。―実際に分かっているのは、ドルが全商品価値の評価基準ではあるものの、それ自体は商品でもなければ、どの商品にも包含され得ないと言うのみである。
それは、無形で、実体がなく、抽象的である。それは、債権と債務に関する評価基準である。通常の環境下で、長期に亘って評価基準としての精度を維持する力があるようである。それ以外の環境下では、この力を急速に失う。
債務超過によって呆気なく減価し、1度この減価が確認されると、以前の地位に再び戻るのは甚だ困難で恐らく不可能である。減価(または、その一部)は半永続的に定着するようである。たとえ、この点において、外貨から見た減価と自国内における債権群の買取価格の減価に乖離が有ったとしてもである。
通貨単位は、減価する可能性があるのに対して、増価することは決してないと思われる。急に進んだり、ゆっくりと時間がかかったりする物価の全般的な上昇は、金融史にお馴染みの特徴である。急激な上昇の後に下落が続いても、下落は均衡状態への回帰に過ぎないようである。
物価が上昇以前に普及した水準未満まで下落する事例があるかどうかは何とも言えず、物価の切れ目ない下落に迫るものや貨幣価値の連続的な騰貴を示すものは未だ知られていないと思われる。
*5 ゴーシェン(Goschen)の『外国為替の理論(Theory of Foreign Exchanges)』は、信用に関する科学論文の中に収録しなければならない。
ハートレー・ウィザーズ(Hartley Withers)の最近の研究『貨幣の意義(The Meaning of Money)』と『貨幣の変化(Money Changing)』は、科学論文というより寧ろ実用的である。それらは、学生にとって必須である。
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通貨単位の安定を維持するもの(現在安定している限りにおいて)は、アダム・スミスが「市場の駆け引き(higgling of the market)」と称した、購入者と販売者の間で絶えず繰り広げられる主導権争いであると思われ、購入者はできる限り高価なモノに代金を少なく支払い、販売者は最大限多くを獲得する。
十全に正常な状況下では、つまり、どのような原因から生じたものでも、激しい攪乱が起こらずして商業が継続している間、この2つの力は恐らく程よく均衡して強さが互角であり、両者とも相手より多くの物質的利益を獲得できない。
戦争や多大な努力を要する祖国の物質的発展に左右されない方法を、規則正しい進路で追求する平和的な諸国が完全に隔絶される状態で、長い間、物価は目覚ましい秩序を維持するようである。
貨幣の信用理論の最も興味深い実際的適用は、私が考えるに、金本位制として知られる通貨制度と物価上昇の関係を考察する中に見出されるだろう。
現代の一部の経済学者は、そのような関係があると思い、需要と供給の法則が作用することを根拠に金の価値が下落するという理屈で釈明しているが、法則は事実に適用できないと大方見做されている。
私達は、それが通常の商業で作用する方法を心得ている。商業生産が需要を大きく上回る割合で拡大すると、販売業者は在庫が過剰に多くなっていることを察知して、余剰分を市場で捌くために値段を下げる。値段の引き下げは、意識的な行為である。
しかしながら、金の場合はそうではなく、価格が額面で評価されて変化しない。そして、別の理由を探し求めなければならない。
私が考える所、債務者に対する債権の価値が、債務者の債権によって速やかに弁済される債務額と、債務を解消するために保有している即刻利用可能な債権額との兼ね合いに依存しているのは、ここで提示された理論で探し求められるだろう。
ある国で債権群が継続的に減価している兆候を確認した時は常に、注意深く観察すると、過剰債務が原因であると察知しなければならない。
債務と債権が均衡する法則を観察するため、ヨーロッパの至る所で立て続けに起こった政府の失敗が原因で、物価が上昇する経緯を中世において確認してきた。
人々を苦しませた戦争の破壊とペスト、飢饉、家畜伝染病によって貧困化した人々から税金として徴収できた債権を超過する政府の常態化した債務超過が原因で、通貨単位の価値が下落したのである。
私が誤りを犯していない場合、現代で全く別の要因による酷似した帰結を見出さなければならない。通貨制度や国家、政府、銀行家の影響も部分的にあるとして、彼等を満たす利用可能な債権を大幅に超過する当面の債務を担う一切合切を認識しなければならない。
私達は、金を固定価格に維持することで、通貨単位の価値を維持していると思い込んでいるが、実際はちょうどその真逆を行っている。金を現今の価格で維持する時間が長くなる程、金属が現在と同じく潤沢な状態が続いたまま、貨幣を一層減価させる。
このことを明らかにしてみよう。
前回の論文で、硬貨や証明書の性質、並びにそれらが徴税によって価値を獲得する方法を説明した(pp. 398ーP402)。後述する内容が理解しやすいかどうかは、頭の中でそうした説明を明瞭に描くことが非常に重要である。まず始めに、その説明について詳述し、やや別の側面から課題を提示するのがふさわしいだろう。
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私達は、貨幣の発行を貴重な恵みとして、課税を凡そ辛抱ならぬものになりがちな重荷として習慣的に捉えている。ところが、真相は逆である。重荷であるのが貨幣の発行であり、恵みであるのが課税である。
硬貨や証明書が発行される都度、厳粛な義務がその国の人々に課される。国庫に対する債権が有効になり、公債が負担される。確かに、硬貨は債務を譲渡する体裁を取っておらず、義務を課す法律は無く、事実は広く認識されていない。
にも関わらず、単純な真実である。債権とは、何度も断固として言明できない、「満足」に対する権利である。この権利は、制定法ではなく、慣習法や判例法に依拠している。世界の隅々に至るまで、まさしく債権の本質における先天性である。それが、債権である。
無論、当事者同士でそうした満足感を具体化させることに関しては合意可能だが、何らの交渉や合意、あるいは債務発行者(債務者)へ承諾書や義務を返還する債権保有者(債権者)の権利も要さない形式があり、順番が回って債権者が債務者になり、債務者が債権者になると、2つの債務と2つの債権を解消する。
AはBに対する債務者であり、債務の義務や承諾書を授ける。程なくBはAに対する債務者になり、承諾書を返還する。AのBに対する債務とBのAに対する債務、且つBのAに対する債権とAのBに対する債権は、そうやって解消される。
債権以外はこの慣習法の権利を与えず、その結果、全ての記録文書や道具は、どのような形態や物質も、発行者に返還することで債務の解消権を授ける、債権の記録文書、債務の承諾書、「信用の手段」である。
現在、政府の硬貨(つまり、硬貨に相当する政府紙幣や証明書も同様である)が保有者にこの権利を授け、それに付随する基本的に欠かせない権利というのは他に存在しない。
硬貨や証明書の保有者は、その硬貨や証明書を差し出すことで、政府に支払わなければならない債務を隅々まで履行する完全な権利を持ち、この権利以外にその価値を授ける物はない。
権利が法律で告示されるか否か、硬貨や証明書、その他の性質を定義する制定法の有無すらも重要ではない。法律の定義が、金融取引の基本的な性格を変えることはできない。
政府が引換券の発行時に考慮している目的、若しくはその目的がいずれか提供サービスに対する支払いであるか、「交換の手段」の提供であるかは全く重要でない。
政府が金塊と引き換えに硬貨を手渡している最中の行為について考えている事柄や、法律がオペレーションに与える名称ーこの全てが些末な問題である。
重要なことは実行している事の効果であり、このことは既出の通り、硬貨が発行される都度、負担や請求、義務、負債が特定の諸個人に資する形で共同体の上に賦課され、それは唯一課税によって相殺可能である。
税金が課される時は必ず、各納税者は、硬貨や証明書、紙幣、国庫に対する為替手形、または名称如何に関わらず、政府がいずれかの貨幣発行によって圧縮させた債務の一部を償還することに対して責任を担うようになる。
納税者は、硬貨や証明書、その他諸々の政府通貨を保有する者から己の債務に該当する部分を獲得し、法的債務の弁済時に国庫へ進呈しなければならない。彼は、債務の当該部分を償還したり、帳消しにしなければならない。
事実として、政府通貨の大半が銀行へのルートを辿り、私達が銀行家宛の小切手で納税すると、銀行家は小切手の代わりに硬貨や紙幣、証明書を国庫へ譲渡し、預金口座から引き落としを行う。
これは、つまりー課税による政府債務の償還ーは、どのような形態においても、硬貨の鋳造と政府「通貨」の全発行に関する基本的法則である。それは、何世紀もの間、忘却の彼方にあり、その代わりにどうにかして硬貨の金属的属性が本当に重要な事柄であるという考えを育んできたが、実際は直接的意義を有していない。
私達は税金やその他の債務を硬貨を使って支払う習慣で育ってきたため、そうする事がいくらか当然の権利だと考えている。硬貨を一段と優れた「貨幣」として、硬貨を形作っている事柄を何かしら謎めいた手段による富の具現化として見做すようになっている。流通する硬貨が多くなれば、「貨幣」も多くなり、したがって裕福になる。
事実は、しかしながら、流通している政府通貨が多いと益々窮乏する。信用理論から学び取れる原理の内、これ以上に重要なものはなく、その意味を徹底的に咀嚼するまでは健全な通貨の法律を制定する立場にない。
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批判者の言葉を思い浮かぶ人がいるかもしれない。「あなたの主張には一理ある。政府が債務の弁済時に金貨を受け取り、他のどの商品の受領も引き受けないのは、幾分腑に落ちない。
ひょっとすると、あなたが言うように、硬貨の刻印が特別な性質を本当に授け、理論がこれまで教わってきた事と相容れなくても、もしかすると、硬貨の発行が負債の創出として解釈されるかもしれない。
けれども、私は、あなたと完全に同じ見方を取ることはできない。いずれにせよ、1枚の硬貨に刻印する効果がどのようなものでも、その価値を変えることは決してない。私があなたに1枚のソヴリン金貨や5ドル硬貨を差し出す時、間違いなく債務を支払っている、その理由は、内在的にその金額に相当する物を授けるからである。
希望する場合、溶解したり、同額で再販できる。すると、どうして硬貨1枚の発行によって受任する義務のようなものを敢えて持ち出したりするのか?」
同様の批判が、先の論文に対する批判の中で幾分違う言い方をされた。著者は次のように書いている。
-「イネス氏は、現代の政府が金の価格を吊り上げて共謀してきたと述べているが、この点では誤りを犯している。目下、金の価格を固定したり、そう図ったりする法律は存在しない。
イギリスは金の一定の重量と純度を1ポンド、アメリカは一定の重量と純度を1ドルと呼ぶように法律で定めている。しかし、1ポンドや1ドルは抽象名称に過ぎず、価値や価格との繋がりや関係を有していない。**如何なる名称による同量の金も等しい価値を持つ。ー例えば、金塊として。」
ここで、誤りが横たわっている側面を見てみよう。
もし、これが本当なら、世界の政府はあくまで金の一定重量を1ポンドや1ドルと呼ぶことを規定してお仕舞いである、と私を批判する人が言う通り、そして、多くの経済学者が固持するように、そうした法律が金の市場価格に何らの効果も生まないのは確実である。
誰もそのような役に立たない法律を気に留めないだろう。しかし、これまで主張してきた通り、政府は1ポンドや1ドル分の負債を決済する神通力を使って、政府刻印に対する責務を背負う時には金の一定重量に投資する。これは単にある名前で呼ぶ事とは、随分違った事柄である。
しかしながら、歴史が最終的に解明するにつれ、これすらも政府が鋳貨の用途で求められる分の金を購入することに専念する場合、通貨単位の見地から金の価格を固定するには不十分だろう。
ところが、イギリス政府はこれより遥かに重要な段階に進んでいる。中世の政府が決して執り行わなかった事を措置している。
イングランド銀行(実際、かなり特殊な政府部門である)は、1オンス当たり、3ポンド17シリング9ペニーの均一価格で提示された金を全て購入し、1オンス当たり、3ポンド17シリング10.5ペニーで再販する責任がある。
すなわち、銀行は、金1オンスに対して帳簿上に3ポンド17シリング9ペニーの債権を授け、1オンスにつき1.5ペニーの小幅な利鞘で債権のために金を差し出す義務がある。これが金の価格を固定していないとするならば、言葉は意味を持たない。
アメリカ合衆国政府は、多少違う方法で同じような成果を挙げている。
アメリカ合衆国の政府は、金を購入すると公言していない。公言している実行の中身は、金を預金先として受領し、本位ドル貨と呼ばれる小銭に分割し、重量と純度の保証を具備した刻印を行い、所有者へ返還し、希望する場合は金の代わりに1枚以上の証明書を手交することで全部である。
この場合も重要なのは、政府が実行を公言することではなく、実際に実行していることである事実を強調しておきたい。法律がこの取引を預金と見做すと申し立てても上手く行かないだろう。
取引は、実際の所、預金ではなく、売買である。金1オンスと交換する度に、所有者は貨幣で受領する。
もし金が預金の上で受領されるに過ぎず、刻印された金属の所有者に対して、税金を金で支払う特殊な権利を授けることなしに刻印することが目的の場合、換言すると、負債という性格を持つ金に投資されず、貨幣に変換されないとしたら、取引は預金以外の何物でもないだろう。
法律が取引を預金と見做す事実は、立法者が間違った貨幣観に感化されて振舞っているだけである。全世界が長い間、主題に関して最も馬鹿げた観念の奴隷になってきたため、大方他にどうしようもなかったが、確かにイギリスは、銀*6という言葉が貨幣を意味しなかった数少ない国の1つである。
17世紀まで、金と銀が売買の通常法則に従うという共通理解は、消滅しなかったにせよ、少なくとも廃れたも同然の混乱状態にあった。金と銀♰7が売買の対象に見られず、自己目的化したことで、そのために商品が全て販売されたと言われている。
政府の行為に対する実質的な効果を理解できるのは、周知の事実から演繹されたものとしての、貨幣の性質に関するより真正な見解を心眼の前で持ち続けるしかない。現代の政府が置かれている状況について、1つ実例を挙げよう。
** 訳者補足 印に対応する注釈は見当たらず。
*6 かつては銀だった硬貨の大半がその品位を落とされた時も、供用されなかったにも関わらず、尚、銀と表面上見做された。
♰7 金の主題に関する意見は、しかしながら、かなり混乱している。
参考文献
「過去2年間(補足:1923年に出版された)、アメリカ合衆国は金本位制を維持するふうを装ってきた。だが、実際にはドル本位制をとってきたのである。そして、金の価値にドルの価値を一致させる代わりに、多大の費用をかけて金の価値をドルの価値に一致させるようにしてきたのである。これは、新しい叡智と古い偏見とを結びつけることが可能な富裕な国のやり方である。」『貨幣改革論』ケインズ全集 中内恒夫訳